榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

バルザック、自己の秘密を発見す・・・【山椒読書論(71)】

【amazon 『バルザック』 カスタマーレビュー 2012年9月17日】 山椒読書論(71)

私の大好きな一冊、『ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像』(シュテファン・ツヴァイク著、高橋禎二・秋山英夫訳、岩波文庫)の著者、シュテファン・ツヴァイクの遺稿『バルザック』(シュテファン・ツヴァイク著、水野亮訳、早川書房。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、期待を裏切らぬ力作であった。

書き手が手練れのツヴァイク、書かれる対象が永遠の熱狂家、夢想家で、抜き難い俗物根性も持っているオノレ・ド・バルザックとあっては、面白くないわけがない。ツヴァイクは若い時からバルザックに私淑しており、『ジョゼフ・フーシェ』はバルザックの壮大な作品群『人間喜劇』の重要部分を構成する『暗黒事件』に刺激されて書かれたものである。

『バルザック』は、ツヴァイクがその最晩年に、心を込めて敬愛するバルザックの生涯、その栄光と悲惨を丹念に辿った評伝である。

バルザックの作家魂は――「部屋のなかの書物、街頭の人間、どんなものでも貫くように見抜く眼、思想、出来事、これらは彼の世界を構成するのに十分であった。仕事にとりかかった瞬間からもはやバルザックのまわりには創作以外なに一つ現実はなかった」、「バルザックは偏執狂的なエネルギーで仕事に打ちこんだ。昼も夜も仕事机に向い、しばしば3~4日間、屋根裏部屋から外に出なかった」、「バルザックは3時間、4時間つづけさまに校正の仕事をして、字句を変えたり訂正したりする。自分でも冗談半分に言うこの『文学の台所仕事』はいつも午前いっぱいかかり、夜の仕事とまったく同じように休みなしに猛烈かつ情熱的に行われるのである」、「創作家バルザックは心の世界に専念し、ひたすらそこに籠城しているので、彼の外的存在のまわりに猛威をふるう暴風雨を少しも知らず、また感じもしなかった。幻想家バルザックは、ゆらめく蝋燭の光に照らされて飛ぶように手を動かしながら次々と原稿紙の上に運命や人物を展開していたから、手形支払い請求の訴訟を起され、家具を差押えられる今一人のオノレ・ド・バルザックとは少しも共通点がなかった。現実世界における公私人としてのバルザックの気分や絶望感に露ほども影響されなかった」と描かれている。

「力量は極めて巨大、不撓不屈であり、心の持ち方たるや極めて大胆不敵だった」バルザックは、35歳の時に、大きな秘密を発見する。「あらゆるものが題材である。現実は、それを発掘する手段さえ心得ているならば無尽蔵の鉱山である。正しい角度から観察さえすればよいのだ。すると観察される人間はすべて『人間喜劇』の役者となる。貴賎の別はない。あらゆるものを選ぶことができ、そして、あらゆるものを選ばなくてはならないのだ。いやしくも人間世界を描こうとするほどのものは、どのどんな光景をもないがしろにするわけにいかない」と、自分の作家としての使命に目覚めたのだ。

「あらゆる緊張を仕事の面に集中するために、外的生活ではくつろぎたかった」バルザックは、多くの女性たち、それも貴族階級の人妻たちと奔放な恋愛を繰り広げることになる。

「異国の女」という謎めいた署名のファン・レターが送られてきたことから始まったウクライナに広大な領地を有する裕福なハンスカ夫人(男爵夫人)との恋愛関係は、やっとのことで16年後に結婚まで漕ぎ着けるが、その僅か5カ月後のバルザックの死によって終わりを告げる。このエピソードは世人によく知られているが、ツヴァイクの筆はハンスカ夫人の人間性に否定的である。

一方、バルザックの自伝的要素の強い恋愛小説『谷間の百合』(オノレ・ド・バルザック著、石井晴一訳、新潮文庫)の貞潔なヒロイン・モルソーフ夫人のモデルとされるベルニー夫人(貴族の夫人)と、そのライヴァルで情熱的なダドリー夫人のモデルといわれるヴィスコンティ夫人(伯爵夫人)の両人に対して、ツヴァイクの書きぶりは好意的である。『谷間の百合』はプラトニックな純愛物語のように見えるが、その実は強烈な官能のざわめきを秘めた官能小説であり、エロティシズムが全篇を貫いている。不倫という名の恋愛の精神的な面と官能的な面との熾烈な対立を、これほど鮮やかに描き出した小説は珍しい。