復讐の快感に酔い痴れる・・・【山椒読書論(77)】
これまでの長い読書経験の中で、一番「血沸き肉躍る」思いを実感できたのは、デュマの『モンテ・クリスト伯』(アレクサンドル・デュマ著、山内義雄訳、岩波文庫、全7冊)であった。
マルセイユの前途有望な船乗りであった19歳のエドモン・ダンテスは、彼を妬む同僚らの陰謀によって無実の罪を着せられ、沖合の牢獄に繋がれる。牢中でファリア司祭という老囚人からさまざまな学問を学び、14年後に遂に脱獄を果たす。埋蔵されている財宝の秘密を司祭から教えられ、莫大な財宝を手に入れたダンテスは、モンテ・クリスト伯と名乗り、パリの社交界に登場する。そして、自分を陥れた3人に対する復讐を開始する。
長く絶望的な牢獄生活の無念さ、しかし、そこでの素晴らしい師との出会い、脱獄が成功するまでの緊迫感、社交界を舞台に憎(にっく)き男たちに次々と仕掛けていく仮借のない復讐の苛烈さ――という息も吐かせぬ波瀾万丈の展開に、7冊という長さを意識することなく、一気に読み上げてしまった。
聖人でない限り、誰にでも、殺してやりたいぐらい憎い奴が1人か2人はいるだろう。仕返しをしたくとも、いろいろなことを考慮すると躊躇せざるを得ず、実行には至らない。その点、クリスト伯は、用意周到に準備を進め、執拗に復讐を実行していく。そして、着々と目的を遂げていく過程は、まるでPDCA(plan、do、check、act)の模範例のようだ。
この著作に対する評論は昔から現在に至るまで数多存在している。しかし、誰が何と言おうと、一番正しい読み方は、小難しい理窟は抜きにして、「復讐の快感に酔い痴れる」ことだと確信している。この書を読まずに一生を終えてしまう人がいるならば、何ともったいないことだろう。
第1冊では、無実の罪で投獄された若者・ダンテスが、14年間の忍耐と努力の末に、遂に脱出する。
第2冊では、モンテ・クリスト島の宝を手に入れ、モンテ・クリスト伯と名乗ったダンテスが、遠大な復讐計画の実行に取りかかる。
第3冊では、パリ社交界の名士となったクリスト伯が、今はモルセール夫人となっている、かつての許嫁・メルセデスと再会する。
第4冊では、地位と富に驕る仇敵、ヴィルフォール(今や検事総長に出世している)、ダングラール(今や大銀行家となり、男爵に出世している)、フェルナン(今や陸軍中将モルセール伯爵に出世している)の身辺にクリスト伯の復讐の手が忍び寄る。
第5冊では、絶妙な変装を駆使し、神出鬼没のクリスト伯の復讐計画が寸分の狂いもなく、非情に進められ、不倶戴天の敵3人の運命がクリスト伯の掌中に握られる。
第6冊では、一番目の復讐により、メルセデスが家出し、その見捨てられた夫・モルセール伯(かつてのフェルナン)は苦悶のうちに自殺する。一方、ヴィルフォールは相次ぐ肉親の毒殺事件の旧悪が暴かれて発狂し、ダングラールは破産に追い込まれる。
第7冊の、復讐の全てを果たし終わったクリスト伯が、「待て、しかして希望せよ!」の一語と全財産を残して、クリスト伯が愛する女性・エデとともにモンテ・クリスト島を去るところで物語が完結する。