榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書のおかげで、天皇制について、いろいろ学ぶことができました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3694)】

【読書の森 2025年5月11日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3694)

シャリンバイでアサマイチモンジ(写真1)が吸蜜しています。シャリンバイ(写真1~4)、タニウツギ(写真5~7)、ブラシノキ(写真8、9)、ベニバナトチノキ(写真10、11)が咲いています。アメリカシャクナゲ(学名:カルミア・ラティフォリア。写真12、13)が蕾を付けています。因みに、本日の歩数は11,812でした。

閑話休題、対談集『天皇問答』(奥泉光・原武史著、河出新書)のおかげで、天皇制について、いろいろ学ぶことができました。

●皇位継承問題で取り沙汰される旧皇族の11宮家の「源流」である伏見宮家が天皇家から分かれたのは、今から600年以上も前の南北朝時代である。

●江戸時代に、中国では革命が起きるが日本ではそれがなく、一つの王朝がずっと続いているがゆえに中国よりも優れているという、「万世一系」イデオロギーの母体となる思想がはっきりと出てくる。国学を大成した本居宣長の思想がそれである。

●明治維新時、大久保利通は大坂遷都を唱えたが、最終的に都が東京になったのは、もぬけの殻になっていた江戸城を新政府の皇城(宮城)として利用するためだった。

●大正天皇が行おうとした改革「大正流」に立ちはだかったのは、宮中儀礼に熱心な貞明皇后だった。

●大正期の政治家の中には、山縣有朋みたいにひたすら明治を理想とするタイプと、原敬や大隈重信のように柔軟に対応するタイプがいて、大正天皇は後者のタイプが好きだった。大正天皇は山縣が嫌いだった。

●二・二六事件の背景には、母・貞明皇后と昭和天皇の確執、弟・秩父宮と貞明皇后の親しい関係があると睨んだ松本清張の考察は的を射ている。二・二六事件の時、昭和天皇が即時鎮圧と激怒したのは、弟のクーデターを疑ったからである。

●昭和天皇が終戦を決意する前に、サイパン陥落の時点で戦争を止めるべきだとはっきり言ったのは弟・高松宮である。その翌年に近衛文麿も終戦を言い出した。まだ一撃講和論に固執していた昭和天皇を、近衛は高松宮らとともに、京都の仁和寺に押し込め、落飾させて「裕仁(ゆうにん)法皇」とすることまで考えていた。

●戦後の昭和天皇は再軍備を唱え、自衛隊への思いも強く持っていた。

●平成の天皇は昭和天皇とは全く異なるスタイルを築いていったが、それを主導したのは美智子皇后だった。