どう感じようが、どう考えようが、どう評しようが、その人の自由であるが、倉橋由美子のそれには、ほとんど全てに異議あり、というのが私の本音です・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3816)】
アゲハチョウ(写真1、2)が吸水しています。シオカラトンボの雄(写真3)、その未成熟雄(写真4)、ノシメトンボ(写真5、6)、コノシメトンボ(写真7)、ナツアカネの雄(写真8)、キイロスズメバチ(写真9)をカメラに収めました。
閑話休題、『倉橋由美子』(倉橋由美子著、小池真理子編、文春文庫・精選女性随筆集)を読みました。倉橋由美子の文章は、小説のみならず、随筆でも十分刺激的かつ挑戦的です。
●「老人」が文学に手をだす愉しみは、こうしてひとに気づかれずに悪事を働くこと以外にないようです。
●(『異邦人』と)『審判』に出会ったとき、そしてカミュとカフカがわたしのなかで結婚したとき、わたしは自分の「青春」を小説に表現する方法をみいだしました。
●三島由紀夫氏にあのような死にかたをされたときの私には茫然自失という極り文句で形容される以外の状態になることはできなくて・・・。三島氏の冥福を祈るとか極楽往生を祈るとかいう気は起らなくて、神になったものに冥福も往生もない。
●(吉田健一氏の文章は)上等の葡萄酒の働きをするに至った文章で無から有を生んだものだった。
●作家の場合もうまい文章が書けるかどうかが一流か二流かの分れ目になる。努力だけではうまい文章は書けない。明治以後の作家を見渡したところ、文章が格段にうまいのはやはり鴎外、漱石、谷崎であり、やや貧相ではあるが志賀直哉もうまい。また大いにいやらしくはあるが太宰治もうまい。戦後では三島由紀夫の文章が、あのボディビルの産物の筋肉のようにわざとらしくはあるが断然IQの高さを感じさせる。これらに比べると、例えば藤村などは文章のうまさが一段落ちるので一流に伍するわけにはいかない。梶井基次郎の文章は名文だという定評があるが、あれは散文とは言えないのでここでは措く。堀辰雄の文章はフランスかぶれのベレーをかぶった文化人紳士が女性的な声でうまくもないシャンソンを歌っているような趣がある。・・・力量という点では芥川の文章にも疑問符が付く。
●愛情とか、結婚とか、いろんな意味づけを剥ぎとってみますと、男と女の性的関係は、凹型の存在が凸型の存在を自分のなかにいれて食べることであり、凸型の存在が凹型の存在を充たす関係だといえるでしょう。・・・性行為は、それを欲する人間が、その行為に不効用を感じながらサーヴィスを提供する人間にたいして正当な報酬を支払うことによって、ひとつの商取引となります。
どう感じようが、どう考えようが、どう評しようが、その人の自由であるが、倉橋由美子のそれには、ほとんど全てに異議あり、というのが私の本音です。あ~、しんど。