やはり、須賀敦子は最高のエッセイストだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3835)】
須賀敦子の作品と彼女を論じたものはほぼ全て読んできました。
『須賀敦子』(須賀敦子著、川上弘美編、文春文庫・精選女性随筆集)に収録されている作品も既読のものばかりだが、懐かしさを感じながら須賀敦子の世界に浸ることができました。
ほんの少しばかり、その雰囲気をお裾分けしましょう。
●フェデリーチ夫人の客間の集まりは、ある意味で異色だったかもしれない。彼女が六十をすぎた未亡人で、そのことが、客間の雰囲気を、しっとりと落着かせていたこともあったろうが、そこでは、文学が多く話題になったし、彼女の地味で暖かい人柄がみなの心をときほぐし、夜半すぎに挨拶をかわして暗い道を帰途についても、しずかな余韻のようなものに、自分がすっぽりと包まれているように感じるのだった。
●夫人の得意なドイツ文学、とくにトマス・マンの作品について、話がはずむこともあった。あるときは、『ブッデンブローク』派と『魔の山』派にわかれて。議論が伯仲した。とはいっても、こういった場所での議論というのは言葉のテニス・ゲームのようなもので、ひとりがコートの『魔の山』側に立って球を打つと、いち早く、だれかが、反対側から『ブッデンブローク』の球を打って返すという感じの、さわやかな遊びだった。そんなとき、還暦をすぎたフェデリーチ夫人の、生気にあふれた黒い目は、コートに降り立った少女のように、きらきらとかがやいた。
●集まった客によっては、話題がミラノの古い家柄の人たちの、噂ばなしになることもあった。そんな中には、映画監督で世界に名を馳せたルキーノ・ヴィスコンティの名がしばしば出た。・・・彼とは幼な友達だったというフェデリーチ夫人にかかると、『あの男のつくる映画は、どうもしちめんどうくさくて。子供の頃は、あんなじゃなかったのだけれど』で、あっさりと片づけられてしまった。
須賀敦子が、未来の夫ジュゼッペ(通称ペッピーノ)・リッカに宛てたイタリア語で書かれた手紙の中に、こういう一節があるのを、本書のおかげで知ることができました。「数日前に、私たちの新聞の特別特派員としてこちらにやって来た日本人の女性作家(有吉佐和子)と再会し、感じよく、くつろげるいい友だちだった、ということだけいっておこうと思って筆をとりました」。
やはり、須賀敦子は最高のエッセイストだということを再認識しました。