コナン・ドイル自身は推理作家ではなく、歴史作家として認められたいと思っていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3933)】
不鮮明だが、アオジの雄(写真1)、雌(写真2~4)、カワラヒワ(写真5)、シメ(写真6)、シメとツグミ(写真7)、ツグミ(写真8~12)をカメラに収めました。ジュウガツザクラ(写真13、14)が咲いています。因みに、本日の歩数は7.017でした。















閑話休題、『コナン・ドイル伝――ホームズよりも事件を呼ぶ男』(篠田航一著、講談社現代新書)のおかげで、シャーロック・ホームズ・シリーズで知られるアーサー・コナン・ドイルの人生を俯瞰的に眺めることができました。
●ドイルは16歳の頃、エドガー・アラン・ポーの小説を夢中で読んだ。
●ドイルは17歳で入学したエディンバラ大学医学部で、「注意深い観察」の重要性を説き、「合理的な結論」を導き出すように求めた恩師ジョゼフ・ベルから強い影響を受けた。ベルはホームズのモデルである。
●ドイルの持ち味は、簡潔できびきびした筆致であり、ホームズを活かすのは短篇だった。ドイル自身、その特性をきちんと分かっていた。
●ホームズの推理は結構荒っぽい。
●ドイル自身は推理作家ではなく、歴史作家として認められたいと思っていたが、その承認欲求は常に満たされなかった。
●ドイルは医師、作家であると同時に、実はかなり強烈な「心霊主義者」で「愛国者」だった。ただ、ドイルはホームズの物語に心霊を持ち込むことだけは最後までしなかった。
●かなり濃密なカトリック教育を受けて育ったドイルはカトリックに対して疑念を持ち、後にキリスト教信仰を離れ、心霊主義に走る人生を送ることになる。その晩年は、もう心霊一色だった。しかし、ドイルにとっては、心霊主義はあくまで科学であった。
●ドイルは37歳の時、結核で闘病中の妻ルイーザがいるのに、23歳のジーン・レッキーと恋に落ちた。ルイーザの死後、ジーンと再婚。
●ドイルは下院議員選挙に2度出馬するが、いずれも落選。
●ドイルは、ウィンストン・チャーチルの文才を早くから見抜いていた。
●ドイルは人生を思い切り、好きなように生きた人だった。
トリヴィア的なことだが――
●コナン・ドイルは「複合姓」で、これで一つの名字と言える。
●ドイルはフリーメイソンに入会していたが、フリーメイソンとは厳密には各会員のことを指し、団体名としてはフリーメイソンリーが正しい。
ドイルに限らず、当時の英国人がなぜ心霊に惹かれたのかの考察が興味深い。チャールズ・ダーウィンの「進化論」により宗教的権威が大きく揺らぎ、その精神的な「隙間」に入り込んだのが心霊主義だというのです。
読み応えのある一冊です。
