「ヒトは壊れ易い種」という考え方・・・【山椒読書論(165)】
名著とされている『人間というこわれやすい種』(ルイス・トマス著、石館康平・石館宇夫訳、晶文社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読んで、先ず感じたことは、こういう科学を対象にしたエッセイが向き合わざるを得ない時間の経過という問題である。本書は、医師の手になる医学、医療、進化等をテーマにしたエッセイ集であるが、原著の出版から20年が経過しているため、現在もそのまま通用する内容と、当然のことながら、その後の学問的成果が含まれていない内容が混在しているからである。これは日進月歩の科学の分野を扱うエッセイの宿命と言えるだろう。
とはいうものの、著者の「ヒトは壊れ易い種(fragile species)」だという考え方は魅力的である。「私は、地球にとってまだ馴染みの浅い、進化という時間の尺度のなかではほんの一瞬を占めるにすぎない、あらゆる意味でもっとも若い生物、未熟な種、まだ子供である種、こわれやすい種の一員なのだ。私たちはまだ仮の居場所しか見つけていない。過ちを犯しやすく、失敗をしやすく、放射能を帯びたほんの薄い化石の層だけを残して消え去る危険のなかに生きている」というのだ。
「私たちは種にとっての思春期のはじまりを通過しつつあるのだ。思春期がいったいどんなものか、知らない人はないだろう。おとなになるということは個人にとっては大変な時代といえるが、種にとっては、とりわけ私たちのように脳をつかい、神経をつかう種にとっては持続する責め苦なのである。もし私たちがこの時期をしのいで何とか生きのびることができたら、今(20)世紀の記憶をふるい落とし、一呼吸いれたのち、自分たちをとり戻し、ふたたび前へ進めるようになっているかしれない」。
著者の考え方で、もう一つ特徴的なのは、「共生」である。「地球という、この種の生物相をもつこの種の惑星において、自然界を動かしている力は協力である。進化における生存競争のなかで、自然選択は結局のところ仲間ともっともうまくやっていける遺伝子をもった個体を、ひいては種を勝利者として選んできたのである。自然のはからいのなかでもっとも独創的かつ画期的なもの、そしておそらく進化の過程での最大の達成と言えるのは、この協調という行動を極限にまでおしすすめた共生(シンパイオーシス)という関係ではないだろうか。しかしそこまでいかなくても、もっと漠然と共生を思わせるような関係、いわば一緒にやっていこうという空気のようなものが、この生物圏を覆っている」と述べている。著者の言う共生とは、生物の進化を運命づけたバクテリアと真核細胞との共生にまで遡り、その後、今日までのさまざまな共生関係を指しているのである。