榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

謎多き人物、リチャード・バートンを伝記よりも生き生きと甦らせた小説・・・【情熱の本箱(129)】

【ほんばこや 2016年2月16日号】 情熱の本箱(129)

私にとって、歴史上の存在で、ぜひとも話し合ってみたい人物ランキングの最上位に位置するのが、19世紀のアフリカ探検家にして、『アラビアン・ナイト』の集大成英訳者として知られるリチャード・フランシス。バートンである。ナイル川の水源を明らかにすべくアフリカの奥地に足を踏み入れた冒険家というだけでも憧れに値するのに、一方で、あの膨大な『アラビアン・ナイト』を英語に翻訳してしまうとは、いったいどういう精神と肉体の持ち主だったのだろうか。

世界収集家』(イリヤ・トロヤノフ著、浅井晶子訳、早川書房)が、私の夢を叶えてくれた。と言っても、本書はバートンの伝記、評伝ではない。バートンの人生および作品から着想を得たユニークな長篇小説である。

第1部「英国領インド――主人の召使の代筆人の物語」では、東インド会社の士官として21歳でインドに赴任したイギリス人・バートンの7年間のインド生活が、バートン本人の視線と、召使ナウカラムの回想とで描き出される。第2部「アラビア――巡礼者と悪代官たち、そして尋問の封印」では、32歳のバートンが語学とインドで身に付けたイスラームの教養を武器に、インド人イスラーム教徒に変装して、出身も身分も隠したままメッカ巡礼をやり遂げるまでが、バートンの視線と周囲の人間たちの回想とによって描かれる。第3部「東アフリカ――記憶のなかで文学はにじみゆく」では、36歳のバートンが、イギリス人探検家ジョン・ハニング・スピークと共にナイル川の水源を探す探険旅行が、バートンの視点から、そして道案内を務めた東アフリカ出身の解放奴隷シディ・ムバラク・ボンベイの思い出話として語られる。

本書で描き出されたものは、バートンの伝記的事実そのものではないかもしれないが、バートンという多面的、多彩な謎多き人物の本質を生き生きと甦らせることに成功している。私個人としては、『アランビアン・ナイト』を翻訳した晩年のバートンを扱う第4部が書き加えられていたなら、さらによかったと思うのだが、これは望蜀と嘆というべきだろう。

「東アフリカ」に、このような一節がある。

「バートンは足首まで水に浸かって、次の出発を待っている。6カ月以上前にザンジバルに到着して以来、ずっと待っている。いい加減に出発しなければ。内陸へ。人生で最も野心的な目標へ。最高の名声が待っている。貴族の称号と終身年金という形で報われる。2千年以上にわたって、神の創造に感嘆するあらゆる人間が試みてきた、ナイル川の源流の謎を解くこと。それによって、アフリカ大陸全体を開くこと。己の野心を怖いとは思わない。地図上の空白に意味を描き入れること以外の目的などあってはならない」。

こちらはボンベイの思い出話の一節。「確かに俺は道を知らなかった。だが見つけるのは難しくなかった。内陸に道はひとつしかない。奴隷を売買するキャラバンの道だ。自分が知らないことは他人も知らないなんて、考えちゃならんぞ。この国の商人がペンバに行くのと同じくらい頻繁にあの道を旅するアラブ人だっていたんだ。海岸から内陸へ荷物を運んで、自分や家族を養っている荷運び人たちもいた。50日から100日かけて行って、同じだけかけてまた戻ってくるんだ。毎日のように使う道には道しるべなんていらないってことを、忘れちゃならない。俺にはいろいろな役目があった。じゅうぶんすぎるほどな。仲介に偵察。俺はブワナ(=マスター。スワヒリ語)・スピークの右腕であり、ブワナ・バートンの双眼鏡であり・・・。それにほかの役目もあったぞ。とても大切な役目だ。俺は通訳をしなきゃならなかったんだ。・・・確かにブワナ・スピークは孤独だった。それは本当だ。そして、旅が長く続くほど、さらに孤独になっていった。ブワナ・バートンのほうは、ほとんど誰とでも共通の言葉を見つけることができた。奴隷商人たちとはアラビア語で、兵士たち、つまりバルチスタン人とはシンド語で話した。・・・(バートンとスピークは)まったく似ていなかった。あれほど違うふたりの人間が、相手に命を預けなければならない旅にどうして一緒に出たりしたのか、誰にもわからんよ。ふたりは見た目からして違った。ひとりはたくましい体つきで、色も黒く、もうひとりは痩せていて、しなやかで、魚の腹みたいに真っ白だった。・・・性格も違った。ひとりは声が大きくて、開けっぴろげで、衝動的で、もうひとりは穏やかで、控え目で、打ち解けなかった。態度も違った。ひとりは怒りっぽいが根に持たず、もうひとりは抑制が利いていたが根に持つタイプだった。ひとりはなんでもやりたがり、なんでも欲しがり、自分の欲望に常に忠実だった。もうひとりのほうにも欲望はあったが、紐をつけてうまく飼いならしていた。・・・(二人に共通するのは)野心と強情さだ」。

「ナイル川はふたつに分かれていた。ワズング(=白人。スワヒリ語)たちは、片方の、青ナイルと呼ばれるほうの川は源まで遡った。だがもうひとつのほう、白ナイルと呼ばれるほうの川は、遡ることができなかった。沼地やいくつもの滝が行く手を遮っているからだ。だから源へといたる別の道を探すしかなかった。なにしろ、ワズングたちはカゼーで、大きな湖はふたつあると聞いていたからな。つまり、ナイル川はウジジの湖から流れ出しているか、もうひとつの大きい湖からか、どちらの湖からも流れ出していないか、どの可能性もあり得たんだ。・・・ブワナ・スピークは正しかった。だが同時に、間違ってもいた。あの(ヴィクトリア)湖からは川が流れ出している。そしてその川は、ナイルと呼ばれる川だ。確かにな。ところが、このふたつ目の大きな湖に流れ込んでいる川がいくつもあるんだ。だから、議論好きなやつなら、そういう川のどれにもそれぞれ源がある、その源こそがナイル川の本当の源だって主張できるわけなんだ。なにしろ、ふたつ目の大きな湖に流れ込む川の水こそが、ナイルと呼ばれる川のもとになっているんだからな」。

「ブワナ・バートンは、ふたつ目の大きな湖がナイルと呼ばれる川の源だっていうブワナ・スピークの主張を疑ってた。または、もしそれが本当だとしても、まずは証明されなきゃだめだと思ってた」。

上記のように、案内役のボンベイがバートンとスピークのナイル川の水源探しの探検について生々しく語っているが、参考までに、水源探しの全体像について補足しておこう。エジプトから地中海に注ぐ世界最長級のナイル川は、白ナイル川と青ナイル川が合流したものである。青ナイル川に比べかなり長い白ナイル川の水源はどこかということは、多くのアフリカ探検家たちの心をときめかせてきた。バートンとバートンに誘われ水源探しに同行したスピークは、いくつものジャングル、沼地、海を越えるという大変な苦労の末に、遂にタンガニーカ湖を発見する。病床に臥したバートンを基地に残し、スピークはさらに探検を続け、これこそ水源に違いないと思える大きな湖を発見し、ヴィクトリア湖と名づける。「僕は足下に広がる湖があの関心の的となっている川、源泉が数多い推理と探検の対象となった川を生み出しているのだということをもう疑わなかった。アラブ人たちが話してくれたことは、文字どおり正しかったのだ。この湖はタンガニーカ湖よりずっと大きい」と、誇らしげに探検日記に書き付けている。しかし、それもナイル川の水源ではなかったのである。カーガラ川はブルンジ領内に南から東北に流れるルヴヴ川という上流を持ち、さらにその上流には、いったん南下した後、東に向かい、続いて北上するルヴィロンザ川が源泉となっていることが分かり、これが現在の学界の見解となっている。しかし、ヴィクトリア湖に流れ込んでいる多数の川の中でどれが一番長いかという議論よりも、ヴィクトリア湖から白ナイル川が流れ出しているということのほうが本質的なことだと、私は考えている。そうでなければ、彼らの努力が報われないではないか。

小説としても、謎多き魅力的な人物の文学的肖像としても、そして、過酷な探検の記録としても、本書は独自の輝きを放っている。