榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「推理小説+警察小説+犯罪小説+社会小説=人間小説」の最高傑作・・・【情熱の本箱(137)】

【ほんばこや 2016年4月22日号】 情熱の本箱(137)

飢餓海峡』(水上勉著、新潮文庫、上・下巻)を読み始めた途端にぐいぐいと引きずり込まれ、文庫版の上・下巻合わせて850ページを貪るごとく一気に読み切ってしまった。

水上勉が渾身の力を振り絞って紡ぎ出した長篇だけに、日本文学の最高峰と言っても過言ではない作品に仕上がっている。推理小説であり、警察小説であり、犯罪小説であり、社会小説でもあるという多面性を有しているだけでなく、それらが見事に融合して、骨太、重厚な人間ドラマが展開する人間小説たり得ている。

昭和22年9月20日、青函連絡船層雲丸が台風によって沈没し、乗客、乗員532人が死亡するという海難史上空前の大惨事が起こる。事件処理に当たった函館警察署捜査一課の弓坂吉太郎警部補、51歳は、いつまで経っても引き取り手の現れない、乗船名簿に載っていない2死体に違和感を覚える。この上巻の出だしは、推理小説の発端として秀逸である。

この沈没事故とほぼ時を同じくして、北海道の札幌から120kmほどしか離れていない岩幌で質屋一家4人が惨殺された上、証拠湮滅の目的で放火された火が町の3分の2を焼き尽くし、大勢が死亡するという大事件が起こる。

この大事故と大事件の間には関連があるのではと疑った弓坂の粘り強い捜査が始まる。

「昭和22年10月16日のことである。津軽海峡に面したこの深い山の中腹で、樫鳥の啼く声が聞こえた。キキーッと生地を切り裂くようなその啼声は、無念の思いに胸を熱くしている一人の警部補の胸をえぐり、海峡にまでつきぬけた」。

「警部補の咽喉仏が大きく鳴った。飯ものどを通らない。自家に帰ってもこの男は捜査の鬼であった。外へ出ると暗闇の坂を走りだした」。

「弓坂は今や、追及の鬼であった。函館駅のよごれた建物に入りこむと、彼は勝手知った駅長室へ走りこんでいった」。

こつこつと捜査を続ける弓坂は、彼が犯人と睨んだ男が逃亡中に一人の女と接触したに違いないという確信に達する。

その女、杉戸八重は、青森・下北半島の大湊の淫売宿、もう少し上品に表現すると妓楼「花家」の娼妓で、偶然、客として訪れた犯人の男と一時を共にしたのであるが、これが八重にとって運命的な出会いとなるのだ。

「弓坂は甲板に立って、うしろに広がってゆく海峡をみていた。真犯人を掴むまではこの海峡を二どと渡らないぞ、と自分に言いきかせた」。

「弓坂はいま、杉戸八重の行方を探す一匹の鬼であった」。

弓坂の地道な捜査と並行して、八重の過去が綴られていく。彼女は青森の極貧の家に生まれ、高等小学校を卒業すると同時に家を出て、ほとんど稼ぎのない故郷の祖父、父、弟二人を養うために16歳で娼婦になる道を選ばざるを得なかったのである。色白で愛くるしい顔立ち、男好きがする体つきの持ち主で、健康な上に、明るい性格で素直で愛嬌があり、情があるので、どこの娼家に移っても馴染み客の多い売れっ妓であった。「可愛らしい、ぽちゃっとした顔をしていましてね、男好きのする女でしたよ。なかなか利口そうな眼もとをしていて、しっかりしているところがあって・・・人とはなす時には愛嬌がありましたよ・・・」。

この八重の存在なくしては、『飢餓海峡』の成功はあり得なかっただろうと思われるほど、彼女は重要人物であるが、著者は、厳しい境遇の中にあっても明るく健気に生きる女に温かい眼差しを送っている。娼婦という生き方がいいか悪いかを論じる前に、そうせざるを得ない貧しさというものに対する著者の怒りが沸々と滾っているのだ。

大事故、大事件後の10年間も八重の娼婦生活は続く。下巻の舞台は昭和32年6月を迎え、物語は思いがけない展開を見せる。

突如発生した事態に犯罪の臭いを嗅ぎつけ、緻密な捜査に乗り出したのは、日本海に面した京都北部の舞鶴東署捜査係長の味村時雄警部補、38歳である。現在は退職して警察の剣道指南をしている弓坂の協力を得て捜査を積み重ねていく。

「かわいそうなこの女のためにも、何としても、樽見京一郎の鉄壁の不在照明をくずしてやらねばならぬと、味村時雄は下唇を噛みしめるのだ」。

味村と弓坂の執拗な捜査によって、八重のその後と、京の山中の孤村で屈辱的な極貧の中に生まれ育ち、尋常小学校の6年を終えると家を出て、大阪や北海道で苦労を重ね、その後、強かに成り上がっていく犯人の実像が明らかにされていく。

「10年目に、弓坂吉太郎は、捜査の難関であった杉戸八重の東京での生活の大半の足取りを知ることが出来た上に、いま、貴重な物的証拠の待っている畑部落へ急ぐのである。弓坂の胸は、はりさけるような喜びにふるえていた。彼は、汽車が上野を出ると、列車の座席にすわるなりいったものだ。『やっぱり、味村さん、物事は途中で捨てるもんじゃない。誰が何といおうと、最後まで喰いさがった奴が最後の成功者ですな。そんなわかりきったことを、いままた、わたしは身にしみて感じますよ』。味村時雄は、長旅の疲れか肉のそげ落ちたような頬を心もち紅潮させている弓坂をみると、自分も嬉しさはかくせなかった。だが、二人には、一抹の不安はないとはいいがたかった」。

「『署長、わたしは、とにかく、その堀株へこれから行ってみます』。味村時雄は若者のように眼を光らせていった。いま、この警部補は獲物をみつけた一匹の犬であった」。

「堀株の開拓村と、泊町の駐在をたずねたことで、捜査の鬼とも言える一人の警部補の足は、やがて、樽見京一郎の過去を洗いざらい調べあげることに成功したのであった。・・・この時は、海に向って叫びたいような喜びに全身をふるわせた」。

「弓坂吉太郎は眼を炯らせて聞いていたが、この関西の小都市からきた若い警部補の足の成果にびっくりすると共に、その執念に敬服するばかりであった」。

「味村さん。これですべてがそろったようなものだ。あなたはわたしが在職時代の捜査をうけついで、よくぞ、この闘いに勝って下さった」。

これまでこの著者の作品はいくつか読んだことがあるが、今回、『飢餓海峡』を読み終わって、水上勉は私にとって大好きな作家の一人となった。生涯を終える前に、この作品に出会えた幸運に感謝している。