『夜と霧』の著者・フランクルと妻・ティリーの情熱的な愛・・・【情熱の本箱(193)】
私の愛読書『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』(ヴィクトール・E・フランクル著、霜山徳爾訳、みすず書房)の著者、ヴィクトール・E.・フランクルと、ナチスの強制収容所で命を落とした妻・ティリーとの間には「2人の子供」がいたという説があり、これは正しいのか否かが気にかかっていたが、『もうひとつの<夜と霧>――ビルケンヴァルトの共時空間』(諸富祥彦・広岡義之編、ミネルヴァ書房)が、この霧を晴らしてくれた。
巻末の諸富祥彦と広岡義之の対談で、こういうことが語り合われている。
「●諸富=もう一つは、これもとても大事です。ときどき昔の心理学の事典を読むと、フランクルには2人の子どもがいたが2人とも強制収容所で亡くしたと書かれています。しかし、実際は子どもはいなかったんです。ただ、中絶はしているんですね。●広岡=勤務していた病院の看護師の方と恋愛をし結婚して、そのわずか9ヵ月後にアウシュヴィッツの強制収容所にともに行ったわけですが、強制収容所に入れられる前に結婚して当然のことですが愛の結晶がお腹に宿ったんですね。けれども、その直後にナチスがユダヤ人同士の結婚による出産は禁止するという非人道的な法律を出すわけです。その結果やむなく赤ちゃんを産むことが許されなくて、ナチスに従って堕胎しました。戦後ある本の中で、『生まれなかったマリーへ』という献辞をしているくらい非常に重きを置いていますね。・・・●諸富=(その)原著のタイトルは、『聞きとられることのなかった意味への叫び』。聞き届けられることのなかったというのは、中絶したけれども、その子どもは、生きる意味を求めて叫んでいただろう。それを私たちは聞き届けることができなかった。そんな思いを献辞にこめているんですね」。
「●諸富=フランクルは、静かな沈思黙考のタイプの人ではありません。フランクルに会った多くの人が言ってますが、本を読むと、静かな沈思黙考型の物思いにふけっているようなタイプの人と連想しがちですが、会えばものすごいエネルギーに満ち満ちた、実務家であった。次から次へ患者さんをたくさん診ていたのです。そしてその一人ひとりの患者に、生きる魂を鼓舞するようなメッセージを与えていたのです」。
「●広岡=なぜ結婚したのかというインタビューで、その(緊急の)脳外科の手術をして帰ってきたら、フランクルの家族はみんな食事が終わっていたのだけれども、フィアンセの何といいましたかねぇ・・・。●諸富=ティリーさん。●広岡=そう、ティリーさんだけは食事に手をつけていなかったんですね。どうしてなのと言ったら、あなたと一緒に食べるつもりだったわよ、と言うそのひとことでフランクルはほろっと来て、結婚を決意したんだと彼の自伝のなかに書いてあります。●諸富=つまり、古風な女性が好きだったんですね(笑)。ティリーさんが、ご飯を食べずに待っていてくれたから結婚を決断したと。『夜と霧』の愛読者の方に、この本の中でいちばん好きな場面はどこですかと聞くと、フランクルが収容所の中で奥さんのことを思い浮かべる場面にいちばん感動したと言う方が多い。その奥様との出会いはいま申し上げたようなエピソードなのですね。●広岡=夫婦で強制収容所に入るわけですね。はじめはある収容所に入るのですが、フランクルはアウシュヴィッツへ行くことが決まります。夫人は雲母工場で働いていたから比較的設備のいい収容所にとどまれたにもかかわらず、フランクルがアウシュヴィッツにやられるということを聞いて、自分もアウシュヴィッツに行くと志願するくらい、情熱的な奥さんでもあったわけですね。●諸富=新婚何か月? ●広岡=まだ1年も経ってないと思います。●諸富=1年も経ってない頃に収容所に行かされたんですね。●広岡=そういう奥様との熱い思いがあったということですね。●師岡=ほんとうに熱い思いですね」。まさしく、私も、フランクルが妻を思い浮かべて、励まされる場面に激しく感動した愛読者の一人なのだ。
本書に出会い、フランクルとティリーのことをより深く知ることができて、本当によかった!