55年ぶりに、ニーチェの『この人を見よ』を読み返してみた・・・【情熱の本箱(347)】
『ニーチェ ツァラトゥストラ』(西研著、NHK出版・NHK「100分de名著」ブックス)を読んでいたら、こういう一節に遭遇した。「ツァラトゥストラ=ニーチェからすると、悪いことをするにしてもよいことをするにしても、人間というのは『卑小なもの』でしかない。ニーチェは『この人を見よ』のなかでチェーザレ・ボルジアが『超人』に近いようなことをいっていますが、『悪くても強い』ことがニーチェにとっては大切なことでした。でもじっさいに見る人間はひどく小さい。『こんなつまらない人間たちが蘇ってくる世界を私は何度も生きなければいけないのか!』という人間への絶望がツァラトゥストラ=ニーチェの内面でこだましていたのでしょう」。
若い時に『この人を見よ』(フリードリヒ・ニーチェ著、阿部六郎訳、新潮文庫)を読んだ時には、まだ、チェーザレ・ボルジアという人物についての知識を持ち合わせていなかったので、読み飛ばしてしまったのだろう。そこで、今回は、『この人を見よ』(フリードリヒ・ニーチェ著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫)で読んでみた。『この人を見よ』とは、実に、55年ぶりの再会である。
確かに、チェーザレ・ボルジアの名が出てくるが、<『超人』の例がほしいなら、パルジファルよりはチェーザレ・ボルジアみたいな人間を探したほうがいいですよ、と私が耳もとにささやいたら、ささやかれた人は、自分の耳を信じようとしなかった>という簡単な記述に終わっている。
しかし、久しぶりに『この人を見よ』を読み返したことは無駄ではなかった。
私の好きなモーパッサンが登場するからだ。<この強力な(フランス人という)種族のなかからひとりだけ名前を挙げるなら、私が特別な好意を寄せている生粋のラテン人、ギィ・ド・モーパッサンだ。ここだけの話だが、私はこの世代を、その偉大な師匠たちなんかよりも贔屓にしている。師匠たちときたら、そろいもそろってドイツ哲学によってダメになってしまっているのだ>。
続いて、スタンダールが登場する。<スタンダールは、私の人生でもっとも美しい偶然のひとつなのだが、――というのも私の人生で画期的なことはすべて、偶然によって得られたものであって、誰かに勧められたものではないのだから、――スタンダールは、先を見通す心理学者の目によって、また、当時最大の事実ともいうべきものの近くにいたことを思い出させる(爪によってナポレオンを知る――)事実の把握力によって、測りしれないほど貴重な存在である。最後にまた彼は、誠実な無神論者としても、少なからず貴重な存在である。フランスではほとんどお目にかかれない希少種だ>。ニーチェが私の好きなスタンダールを心理学者として高く評価していたとは!
さらに、私の好きなルー・ザロメの場合は、単に登場するだけではなく、彼女との出会いと彼女への失恋がニーチェに『ツァラトゥストラ』を書かせたことが明かされている。<(ニーチェが作曲した)『生への讃歌』は、いずれそのうち私を追悼するときに歌われるだろう。――誤解が広まっているので、はっきり言っておくが、歌詞は私が書いたものではない。当時、私が親しくしていたロシアの若い女性、ルー・フォン・ザロメ嬢の、驚嘆すべきインスピレーションの産物である。この詩の最後の数語から意味をうかがえるような人なら、なぜ私がこの詩を贔屓にして賛嘆したのか、察しがつくだろう。すばらしいからである。痛みが、生に対する異議とは見なされていないのだ。・・・『生への讃歌』を作曲した後の冬は、ジェノヴァからあまり離れていないラパロの、あの優美で静かな入り江で暮らした。・・・私の健康は最上ではなかった。冬は寒く、異常に雨が多かった。小さな宿は海のすぐそばにあったので、波が高い夜は眠ることができず、ほとんどあらゆる点で望ましいことの反対だった。それにもかかわらず、そして『すべての決定的なことは《それにもかかわらず》起きる』という私の命題をほとんど証明するようにして、私の『ツァラトゥストラ』が生まれたのは、この冬、この不都合な状況においてだった。・・・この午前と午後の散歩の道で、私の心に『ツァラトゥストラ』第1部の全体が浮かんだ。とくにツァラトゥストラその人が、典型として浮かんだのだ。いや正しくは、ツァラトゥストラが私を襲ったのだ>。
これだけに終わらず、巻末の訳者・丘沢静也の解説が、これまた、素晴らしいのだ。
「『この人を見よ』は、ニーチェ(1844~1900年)が書いた最後の本だ」。
「<剣を抜くことが私の楽しみ>だったニーチェも、戦う人だった。『世に出るには、決闘をもってせよ』というスタンダールの格言を実行した。弱い者は相手にせず、強い者しか相手にしなかった。『キリスト教』や『神』や『理想』や『真理』と戦った。『この人を見よ』は、ニーチェの戦いの記録である。巨大な敵とひとりで戦ったけれど、その報告に悲壮感はなく、晴れやかだ」。
「ニーチェのこの遺作は、晴れやかで痛快な自伝である」。
「『この人を見よ』は、最良のニーチェ公式ガイドブックである。ニーチェによる、ニーチェのための、ニーチェ入門。しかしニーチェは、なぜ自分で、自分のガイドブックを書いたのか。『この人を見よ』の最後の7、8、9節の冒頭は、3回とも<私は理解してもらえただろうか?>だ。当時のニーチェは、現在のようなスーパースターではなかった。本人が望んでいたようには理解されず、多くの人に認められてもいなかった。だから、『この人を見よ』を書いて、世間に訴える必要があったのだ。『この人を見よ』の最初にも、こう書いている。<私の言葉に耳を傾けてくれ! 私はこれこれの者であるのだから。どうか、私のことを勘違いしないでもらいたい!>」。
「『この人を見よ』には、ワーグナーとツァラトゥストラがよく登場する。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』は、ニーチェにとって(だけではないが)別格の音楽だった。ワーグナーの最高傑作だ。同じように、『ツァラトゥストラ』は、ニーチェにとって(だけではないが)別格の作品である。・・・『この人を見よ』は、ツァラトゥストラにページをたくさん割いているので、『ツァラトゥストラ』の最良の参考書として読むこともできる」。
「『この人を見よ』でニーチェは、たっぷりキリスト教の悪口を言っている。けれども、イエスの悪口は言っていない。イエスに共感するところがあったからこそ、ピラトの(イエスを指した)言葉『この人を見よ』を本のタイトルにしたのだろう。・・・ニーチェは、自分をイエスにだぶらせているのだ。『イエスはレトリックの達人であった。そうしてロジックのみをあやつるパリサイの徒を、いかにあざやかに論破したことであろう』(花田清輝)。<ワーグナーがドイツ語に翻訳されてしまったのだ!>。ドイツ嫌いのニーチェならではの、反語的なレトリックである。若いころの私は、波長が合わずニーチェを敬遠していたのだが、中年になって、たまたま『この人見よ』を手にして、この見事なレトリックに目を奪われた。そして、<書斎は私を病気にする>とか、<一日がはじまる早朝、じつにすがすがしく新鮮で、朝焼けのように力がみなぎっているときに、本を読む。――それを私は悪徳と呼ぶ!>とか、<腰を下ろしていることをできるだけ少なくすること。戸外で自由に運動しながら生まれたのではないような思想、――筋肉も祭りに参加していないような思想は、信用しないこと。すべての偏見は、内臓からやってくる>とかに出会うたびに、膝を打ってニヤッとした。すっかり『この人を見よ』が気に入り、ニーチェのファンになった」。丘沢の率直な語り口は好感が持てる。