『ツァラトゥストラ』は、失恋したニーチェが自らを励ますために書いたのではないか・・・【山椒読書論(708)】
自分の耄碌ぶりに呆れる事態が発生した。このほど、『ニーチェ ツァラトゥストラ』(西研著、NHK出版・NHK「100分de名著」ブックス)を読み終わり、書いた書評をamazonに載せようとしたら、何と、既に私の書評が掲載されているではないか。1年半前に投稿済みだったのである。気を取り直し、『この人を見よ』(フリードリヒ・ニーチェ著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫)を読み返すことにした。
20歳の時、『この人を見よ』を読んだのは新潮文庫の阿部六郎訳であったが、若気の至りで、当時は、ニーチェというのは、随分、自信過剰な奴だなぐらいとしか思わなかった。今回、再読して気づいたことが、いくつかある。
●ニーチェはギィ・ド・モーパッサンが好きだったこと。「私が信じているのは、フランス的な教養だけである。それ以外のヨーロッパで『教養』と呼ばれているものは、どれも誤解だと私は思っている。ドイツ的な教養などは論外だ。・・・(フランス人のなかから)ひとりだけ名前をあげるなら、私が特別な好意を寄せている生粋のラテン人、ギィ・ド・モーパッサンだ」。
●「超人」の例としてチェーザレ・ボルジアを挙げていること。「『超人』の例がほしいなら、パルジファルよりはチェーザレ・ボルジアみたいな人間を探したほうがいいですよ、と私が耳もとにささやいたら、ささやかれた人は、自分の耳を信じようとしなかった」。
●女性蔑視の傾向があること。「この小さな肉食獣は、地下に住み、足音を忍ばせ、なんとも危険きわまりないやつなのだ! それなのに、すごくかわいい!・・・女は、男よりもはるかに悪く、利口でもある。女に善意があれば、女としてはもう退化しているということだ。・・・男女同権のために闘うことは、病気の徴候ですらある」。
●スタンダールが好きだったこと。「私はスタンダールの格言を実行していたのだった。『世に出るには、決闘をもってせよ』と、彼は忠告している。おまけに私は、なんと見事に決闘の相手を選んだことか! ドイツ一の自由精神を選んだのだ!」。
●ニーチェが手痛い失恋をした運命の女性、ルー・ザロメに言及していること。「(私が作曲した)『生への讃歌』は、いずれそのうち私を追悼するときに歌われるだろう。――誤解が広まっているので、はっきり言っておくが、歌詞は私が書いたものではない。当時、私が親しくしていたロシアの若い女性、ルー・フォン・ザロメ嬢の、驚嘆すべきインスピレーションの産物である。この詩の最後の数語から意味をうかがえるような人なら、なぜ私がこの詩を贔屓にして賛嘆したのか、察しがつくだろう。すばらしいからである。痛みが、生に対する異議とはみなされていないのだ。『生よ、私にくれるほど幸せが残ってないなら、それもよし! あなたにはまだ苦痛が残っているでしょう・・・』。・・・<すべての決定的なことは『それにもかかわらず』起きる>という私の命題をほとんど証明するようにして、私の『ツァラトゥストラ』が生まれたのは、この冬、この不都合な状況においてだった。・・・この午前と午後の散歩の道で、私の心に『ツァラトゥストラ』第1部の全体が浮かんだ。とくにツァラトゥストラその人が。典型として浮かんだのだ。いや正しくは、ツァラトゥストラが私を襲ったのだ」。ひょっとすると、ニーチェが自分の著作中で一番重視している『ツァラトゥストラ』は、ニーチェがルー・ザロメに対する大失恋から何とか立ち直り、くよくよせずに前向きに生きていこうという、自らを励ますための宣言だったのではないだろうか――私にはそう思えてならないのだ。