榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

忙しいだろうが、たまには自分の幸せについて考えてみようよ・・・【MRのための読書論(78)】

【Monthlyミクス 2012年6月号】 MRのための読書論(78)

仏文学者兼武道家の幸福論

内田樹(たつる)のどの本も読み応えがあるのは、著者自身の考えが確立されていて、決してぶれないからである。多くの本が出版されているが、自分の幸せについて考えてみようというMRには、『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹著、角川文庫)が役に立つだろう。

この著者の主張は、常識破りで刺激的だ。えっと驚いているうちに、術中に陥ってしまう。疲れるのは健全な徴(しるし)、飽きるのは活動的なあかしだ、満たされぬ欲望に身を焼いて一ランク上の自分を目指すようなことはもうやめよう、というのだ。「向上心は確かにある方がいい。でも、あり過ぎてはいけない。自分の可能性を最大化するためには、自分の可能性には限界があるということを知っておく必要があります。自分の『可能性』というのは、喩えて言えば、ぼくたちを乗せた『馬車』を牽いている『馬』のようなものです。ときどき休ませてあげて、水を飲ませて、飼い葉をたっぷりあげて、うんと可愛がってやれば、『馬』は遠くまで歩いてくれます。でも、とにかく急がせて、少しも休ませずに鞭で殴り続けていれば、遠からず過労で死んでしまうでしょう」と、内田節で言われると、思わず頷いてしまうだろう。

真の利己主義を目指せ、とも言っている。「『むかついて』人を殺す若者や、一時的な享楽のために売春やドラッグに走る若者は『利己的』なのではありません。『己』が縮んでいるのです。ほんとうに『利己的』な人間であれば、どうすれば自分がもっとも幸福に生きられるか、どうすれば自分が今享受している快適さを最大化し、できるだけ持続させることができるか・・・というふうに発想するはずです」と、理由説明にも説得力がある。

「ビジネスにおいては、リスクを取る人間が決定を下します。『俺がリスクを取る』と言った人がそのビジネスに関する決定権を持ち、リーダーになるのです。『リスクを負いたくない』と言ってリスクを取ることを忌避して、決定権を他人に譲った人間は(ビジネスではなく)レイバーを担当するしかありません」と、口調は辛口だが、ずばりと核心を衝いている。

その一方で、「節度というのは、平たく言えば、無用のリスクは回避する、ということです。ほんとうに必要なときに自分の持てる能力を最大限発揮できるように、どうでもよいことのためには持てる資源を無駄遣いしない、ということが武士の心得だったのです。品のよい人というのは、節度を知る人のことです。自己裁量で使用できる資源(使える時間と発揮できる社会的能力)について、それを使う優先順位と匙加減をつねに意識している人のことです」とアドヴァイスを忘れない。

「外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きて行くときの基本的なマナーだと私は思います」との発言は、仏文学者にして武道家である著者の面目が躍如としている。

ヒルティの幸福論も読んでみよう

内田の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』という書名は、カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』になぞらえていると思われるが、このヒルティの『幸福論』(カール・ヒルティ著、草間平作訳、岩波文庫、全3冊)も、味わい深い。例えば、「仕事の上手な仕方」という章では、「仕事にも、あらゆる技術と同じく、そのこつがあり、それをのみこめば、仕事はずっと楽になる」として、「よく働くには、元気と感興とがなくなったら、それ以上しいて働き続けないことが大切である。仕事の結果、ある程度の疲れが出てきたら、さっそく中止すべきである」、「多く働くためには、力を節約しなければならない。そしてこれを実行するには、とくに無益な活動に時間を費やさない心掛けが必要である」と述べている。

ヒルティの存在を教えてくれた本

ヒルティに私淑した竹内均の『ヒルティの「幸福論」から私が学んだ 人生のヒント・仕事の知恵』(竹内均著、三笠書房。出版元品切れだが、amazonなとで入手可能)は、私にヒルティの素晴らしさを教えてくれた本である。