榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

MRの歴史を知れば、変化に対応する勇気が湧いてくる・・・【MRのための読書論(122)】

【Monthlyミクス 2016年2月号】 MRのための読書論(122)

一時代前のMR

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるが、MRがMRの歴史を学ぼうとしても、そういう書籍はなかなか見つからない嫌いがあった。今回出版された『MR人生の裏おもて――理念と現実の狭間に生きた男の独り言』(有馬康雄著、薬事日報社)は、一時代前のMR活動を知るのに恰好の書である。

最強MR

著者は私より4歳年上なので、著者が塩野義、私が三共と所属していた製薬企業は異なっていても、ほぼ同様のMR活動を経験している。当時は武田、三共、塩野義、田辺が業界の四天王と呼ばれていたが、病院担当MRとして最も優秀と折り紙が付けられていたのは塩野義のMRであった。本書に書かれている著者らの日々の研鑽ぶりを見れば、優秀なのは必然の結果と知れる。

具体的な事例

入社(1963年)当時の状況は、このように記されている。「塩野義のすべてのMRのディテール姿勢が評価されて『プレドニン』が一般名かのように普及し、大学病院や国公立病院ではプレドニゾロンとしてプレドニンを採用してもらえる施設がほとんどとなりました。このとき、私どもは『ブランド名を守る』ことの大切さを実感し、誇りに思ったものです」。

MR生活3年目には、このような経験をしている。「色々な場面で医師とディスカスしながら、それぞれの患者さんに最適な投与不法を提案し、患者さんが改善されていくのを塩野義のほとんどのMRが経験したのです。これはまさに、現在言われている『適正使用のサイクル』を廻した経過であり、このサイクルを廻せば、自ずと販売量はついてくることを実感できた貴重な経験でした。・・・このようなディテールをしていると、医師から病棟の医師勤務室や研修医室に呼ばれることが多くなり、どこの病棟へもフリーパスで出入りできるようになってきました。病棟などへ出入りするようになると、自社製品のターゲットとなる疾患やその患者さんを担当するターゲット医師が誰なのか、外科系では手術予定患者とその担当医師など、諸々のMR活動にとって涎の出るような貴重な情報が容易に入手できたのです。その情報をもとに、タイミングを見計らって医師が担当している疾患の問題点や治療方針を教えていただき、お役に立ちそうな情報とともにその疾患に合わせて自社品のディテールをすると、すんなりと受け入れられたものです」。

「1980年にセフメタゾン、1981年にパンスポリンという第2世代のセファロスポリン注射が発売されましたが、それでも、それまでのディテールの成果とさまざまな交際費接待の効果もあって、ケフリンはその座をなかなか明け渡さなかったのです」。著者は正直に当時の実態を語っているが、私も当時、セフメタゾンの処方獲得のために、自社の名誉を背負ったつもりで塩野義、武田と激しい競争を繰り広げたことを懐かしく思い出す。

1989年に発売されたMSコンチンに関して、当時としては先進的な試みが実施されている。「私の担当していた地域では、癌疼痛治療に関しては医師だけでなく、薬剤部の薬剤師さんたちも病棟業務を推し進めている時期で関心を持っていました。それ故、地域の病院や調剤薬局の先生方を含めた癌疼痛治療研修会が3ヵ月ごとに開催され、薬剤師が関与した患者さんの報告もされるようになりました」。

一方、反省すべきは反省する潔さも、本書の特徴だ。「そのとき、私たちはシオマリンの適応範囲の点で不安を持ったものの、医師の温情に抗しきれませんでした。今から思えば、それまでに築き上げた正確なディテールを台無しにしてしまった時期であったと思います」。

情報提供の要件

著者の提言は、体験を踏まえているだけに説得力がある。「MRのみならず製薬企業自体が『新しい医薬品ほど、その医薬品情報が不備なものである』ことをしっかり認識して、会社のブランドと信頼性を高める情報提供をするために、①情報の正確な伝達をする。②情報の正確な意味を理解してもらう。③情報の内容を正確に実施してもらう。④実施された結果発生した状況を正確に把握し、医薬情報部へフィードバックする。⑤発生した状況を正確に評価する」。