生きるに値する未来をどうつくるか・・・【MRのための読書論(202)】
生きるに値する未来をどうつくるか
生きるに値する未来をどうつくるか。この課題に絞って、『リベラルアーツ――「遊び」を極めて賢者になる』(浦久俊彦著、インターナショナル新書)は、これから未来を生きる若い世代に語りかけている。
人生をいかに遊びつづけるか
著者は、「人生をいかに遊びつづけるか」を人生のテーマにしてほしい、そして、これこそが、新世代の君たちが生きるに値する未来をつくることにつながると、断言している。「『遊ぶ』とはいっても、みんなでスマホゲームをやりながら一生遊んで暮らそう、といいたいわけではありません。ぼくがいいたいのは『人生を遊ぶ』ことであって『ゲームをして遊ぶ』ことではない。このふたつは、似ているようでまったく違います。それに、遊びながら生きるといえば『楽をして生きる』ことのように聞こえますが、これも違う。『楽をして生きる』ことと『楽しんで生きる』こともまったく違います。『人生を遊びつづける』ことは簡単なことではない。むしろ、とてつもなく難しい。お金があって、生活に困らない人はたくさんいますが、その人たちが人生を遊んでいるとは限らない」。
著者は「遊び」の具体例を挙げている。「『梁塵秘抄』の『遊びをせんとや生まれけむ』はあまりにも有名ですが、もともと日本人は、類いまれな遊ぶ民族でした。なかでも江戸っ子は、まさに遊ぶために生まれてきたといってもいいほど、その日暮らしの質素な生活のなかでも遊ぶことを忘れなかった。『宵越しの銭を持たねえ』という有名な江戸っ子のセリフも、ほんとうは宵越しの銭を持てないほど江戸庶民たちはとにかく金がなかった。現代からみると、ほんとうに貧しかったのです。それでも、そこに息づいた独特の美学にぼくたちが惹かれるのは、遊ぶという人生を彩るほんとうの意味を現代人が忘れてしまったからではないでしょうか」。
「江戸の『生きるために遊ぶ』という精神、さらにいえば、貧しさや生きる厳しさのなかから培われた人生哲学こそ、これから生きるに値する未来をつくるために、新世代の君たちが継承すべきものだと、ぼくは思います」。
どうすれば、人生を遊びつづけることができるのか
人生を遊びつづけるために身につけるべきこと、それがリベラルアーツだというのである。「リベラルアーツは、遊ぶためのわざである」。
「遊ぶためのわざ」は、一遍に学ぼうと語りかけている。「一遍の『踊り念仏』は、彼の究極の『遊ぶためのわざ』といえるのかもしれません。ただ一心不乱に踊り、人々とともに念仏を称えて仏と一体になる。ぴょんぴょん跳ねて、すべての迷いのもとになる欲望すら振り払う。そして残ったものこそ、ほんとうの『自由』と呼ぶべきものなのではないでしょうか」。
いかに人生を遊びつづけるか
著者は具体的に3つの方法を挙げている。
①人生の旅人になってみる。「人生を旅することは、必ずしも世界各地を旅して歩くことだけではない。いつでもどこでも、どのようになっても、身体ひとつでどこにでもいける自分になっておくこと。・・・もうひとつ、人生の旅人になるための、人生をかけて挑むべきもうひとつの旅があります。それは、本の世界を旅することです」。
②自分のためだけでなく、自分のまわりの人々のために遊んでみる。「自分が楽しむだけであれば、それは、たとえばスマホでゲームをすることと変わりません。ただ、自分がいまやっている遊びを、もし他の人がよろこぶ遊びに変えたり、それを考えたり、実行できれば、それを仕事にすることもできます」。
③仕事と遊びの境界線をなくしてみる。「『仕事=労働』とは考えないこと。仕事とは、自分が食べていくためだけのものではない。自分が世界といかにかかわるか、世界のなかに自分をいかに位置づけるかということでもあるからです。新世代の君たちにやってほしいのは『誰かのためになることを仕事にする』ことです」。
いささか理屈っぽいが、これからの人生を考えるヒントが得られることだろう。
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