心に深く突き刺さる丸山健二の峻烈な言葉・・・【MRのための読書論(137)】
峻烈
いろいろな人が発信する中で、私の心に一番深く突き刺さるのは、丸山健二の言葉である。若い時に彼の言葉に触れていたら、私の人生はもっと雄々しいものになっていたことだろう。『生きることは闘うことだ』(丸山健二著、朝日新書)のどのページにも、峻烈な言葉が溢れている。
自由
この世で一番大切なものは、個人の自由であることが、繰り返し語られている。
●自分の人生を生きる上で、何が一番重要で、何を最優先させるべきかを青春の入り口でじっくりと考えておくならば、そこから引き出された答えは当然、この抑圧の世界にありながら、いかにして個人の自由を獲得するかという最重要課題に触れているはずで、さすれば、すっきりとした揺るぎない道が見える。
●人間の尊厳の核を成すものは、個人の自由にほかならず、それ以外の何かでは断じてなく、その基本的人権を、労働の割に少な過ぎる賃金と見せかけの安定と引き換えに、あっさり譲り渡してしまう生き方を安易に選択すれば、その時点において、動物以下の、あまりに情けない道を歩きつづけることになる。
教養
●真の教養とは、腹黒くて強欲な輩の口車にけっして乗らない術のことだ。それをしっかり身につけることこそが教養なのだ。それには自分自身の思考によって独自の答えを導き出す習慣が必要不可欠だ。権力や金力の側にすり寄って自立していない人々を誑かす学者のそれは教養とは対極に位置するものだ。
組織
君は、上司の顔色や鼻息を窺う生活を続けるつもりかと、問いかけてくる。
●世間と歩調を合わせることのみに気を使い、本物を欲する意志を蔑ろにし、さまざまな問題の難点をすべて避け、学問的に粉飾された知識を鵜呑みにし、自分の失敗をろくに反省もせずに不問に付し、安易に不可知論を持ち出し、勤め人の世界では抜き去りがたいものとして出世主義に染まって終わるのか。
●たった一度の人生なのに、人間を人間たらしめる理念に背中を向け、実際にはさほどの強者とは思えぬ輩の顔色を窺い、鼻息を窺って、大した見返りがあるわけでもないのに、リストラされるときにはバッサリと斬られてしまうというのに、おのれの心を歪めてまで屈従するとは。そんな自分をどう思う。
原発
原発の危険性を正しく認識しなければ、我々に未来はないとまで言い切っている。
●万難を排して原発なしでも成立する国家をめざすことが、唯一絶対の未来にほかならず、その他は利欲の悪臭がぷんぷんと付きまとうまやかしにすぎない。原発の危険性は尋常一様ではないのだ。忘れてはならない。
●原発の恐ろしさは、自然災害の煽りを食らって事故を招くことだけではない。テロリストたちにはまさにもってこいの標的となる。よく訓練された数人と消音器付きの短機関銃と高性能爆薬さえあれば、ほとんど無防備に近いわが国の原発などものの数十分で破壊し、甚大な被害を与えることが可能だろう。
愛国
●やみくもに国家を肯定し、一から十まで認めるという無思慮な姿勢は、幼稚なゆえに危険な偏愛であって、本当の愛国精神ではない。さまざまな不正や矛盾に対して義憤を覚えるということに端を発しているのが、まさにそれなのだ。ちなみに、「愛国主義は悪党ども最後の拠り所」という言葉をご存じか?
戦争
一兵卒として戦場に駆り出されるのは、いつも若者であることを銘記しよう。
●戦争は国家が起こす行為であり、国民は国家の決断に引きずり込まれるだけである。参戦に賛成し、それを支持する国民であっても、いざ自分が兵士として戦場に赴かなければならない立場に立たされたときにはたちまち及び腰になってしまう。血の気の多い若者を煽って犠牲にするのは国家の常套手段だ。
●戦争へ出なくてもいい立場の年寄りどもが、国家のため、国民を守るためと称して戦争への道を切り開き、戦争のなんたるかも知らない、ゲームの延長くらいにしか受けとめられず、あるいは、殺人への好奇心と、祖国の英雄という幻想にいたく魅了された若者たちが、戦争への道を武器を手にしてひた走る。
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