榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

杯を傾けながら、漢詩について語り合った対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(163)】

【amazon 『漢詩酔談』 カスタマーレビュー 2015年9月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(163)

我が家の庭の片隅でツユクサが咲きました。決して派手な花ではありませんが、見詰めていると、澄んだ青色に吸い込まれそうになります。人間にもこういうタイプの人がいますね。

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閑話休題、『漢詩酔談――酒を語り、詩に酔う』(串田久治・諸田瀧美著、大修館書店)は、洒落た味わいの本です。漢詩に造詣の深い二人が杯を傾けながら、酒を詠んだ漢詩(飲酒詩)について語り合っています。

漢代の楽府(がふ。中国各地から集められた民間の歌や詩)の詠み人知らずの「西門行」は、「今こそ楽しもう 今こそ楽しもう チャンスを逃すな くよくよするな 来年まで待つなんてごめんだね とびきり美味い酒を用意して 霜降り肉をジュウジュウ焼こう 気の合う仲間 呼び集め 憂さも愁いも 忘れよう」と訳されています。人生は短い、だから、楽しめる時に楽しもう、美味い酒が手に入ったら、仲間で集まりトコトン飲んで楽しもう――と言っているのです。

その生き方が、李白、杜甫、白居易、蘇軾など後世の詩人たちの憧憬の的であった陶淵明を劉克荘が詠った「陶淵明」は、このように訳されています。「ちっぽけな家を建て 宮仕え止めて気楽な毎日 「無位無官で死す」と書かれても お上(かみ)なんかに従うまいぞ」。お上のご威光にゴマをすって出世するより、自分らしい、自由な生き方を選ぶぞという決意が込められています。肩書きや死後の名声よりも、好きな友と好きな酒を飲んで、自分らしい人生を楽しもう、陶淵明のように――というわけです。現在の私の気分を代弁してくれているかのようです。

于武陵の「酒を勧む」は、井伏鱒二の訳が有名ですが、二人は異論を唱えています。「●諸田:(井伏訳は)語呂もよくて、ステキですね。●串田:ただ、どうなんでしょう、最後の一句『<サヨナラ>ダケガ人生ダ』が一人歩きしてません? ●諸田:同感です。そこだけ知ってる、という人がほとんどかも。●串田:だからでしょうか、井伏訳では、どうも悲観的な人生観が先行しているように感じられて・・・。●諸田:そうですね。于武陵の詩は、悲しい詩とも受け取れますが、どちらかといえば、『だからこそ今を楽しもう』という、逆説的な表現でしょう」。因みに、著者はこう訳しています。「さあ 一杯いこう 遠慮するなよ ぐーっと飲み干せ 花に嵐はつきものさ ならば 人に別れはつきものじゃないか」。

酒を飲みながら、味わいたい一冊です。