1989年に中国で独裁政権によって起こされた天安門事件を忘れるな・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3079)】
キタキチョウ(写真1、2)をカメラに収めました。カラスウリ(写真3、4)が実を付けています。我が家では、アサガオ(写真6、7)が咲いています。
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閑話休題、1989年に隣国中国で独裁政権によって起こされた天安門事件を忘れてはいけないと、私は考えています。そこで、ドキュメント集『天安門広場一九八九年五月』(押原譲著、論創社)を手にしました。
「1989年4月15日、胡耀邦前総書記の死をきっかけに、学生達は彼の追悼と名誉回復を訴えて天安門広場に座り込んだ。胡耀邦総書記は生前改革派として言論の自由を訴え、国民の大きな支持を集めていた。・・・しかし政治局内では胡耀邦は保守派から批判を受け失脚、その後をやはり改革に寛容だった趙紫陽が総書記を引き継いでいた。しかしこうした政治局内部の動きはまったく外の世界に知らされていなかったため、世界は単に学生達が、人気のあった胡耀邦の追悼だけのために集まってきていると思っていた。しかし時間が経つうちに学生達の当初の目的から段々と反政府的な色彩を帯び、彼らのめざすものが『民主化闘争』であることがはっきりしてきた。このまま進めば反政府運動、共産党批判に変化していくだろうことも見えてきた」。
「座りこみ初期にはすぐに当局が排除にかかると思われていたが、学生達の圧倒的な動員力の前に、当局は何も出来ずに1カ月以上が経ってしまっていた。天安門広場に林立する赤旗、地方から続々と上京してくる学生、労働者達の姿を毎日テレビニュースが映し出していた。当局が力で圧殺するのか、それとも平和的な話し合いで決着するのか、世界中が固唾を飲んで見守っていた」。
「6月4日未明、天安門広場を占拠していた数千、否、数万の学生に人民解放軍は襲いかかった。平和的なデモとハンストで政府に民主化を訴えてきた学生・若者達に、この日政府はとうとう武力に訴えて排除に乗り出した。厳密に言うならば排除ではなく、軍の精鋭部隊、戦車を繰り出しての殺戮を目的とした軍事行動だった。この時殺された学生は200名から2000名まで諸説あるが実数は定かではない。死体は家族にも知らされず闇から闇へと葬られたという。この事件について政府は『天安門広場では虐殺はなかった』とし、以後何も語らず、世間も沈黙を守っている。すべては存在しなかったことなのだ。しかし事件は現実に起きた。あの事件のことを少しでも知っている者は誰しも、人民解放軍が人民に銃を向けたことに驚愕し、なぜ政府は催涙ガスを使わなかったのか、なぜ自国民をそれも国の将来を担う若者達を多数殺さねばならなかったのか、そして生き残った学生達は今どこで何をしているのだろうか、と思うだろう」。
「事件後、時の最高実力者鄧小平は『今後20年間は自由化、民主化をしてはならない』と語っている。以後、その言葉は各政権に引き継がれ、いまだ真相は闇の中のままだ」。
1989年5月22日から5月31日までの天安門広場の学生達の動きが刻々と、現場にいた著者によって、写真と文章で実況報告されています。