榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「武器よさらば」の大合唱を――鈴木健二の願い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1934)】

【amazon 『最終版 気くばりのすすめ』 カスタマーレビュー 2020年7月31日】 情熱的読書人間のないしょ話(1934)

撮影助手(女房)は、私がデジカメで撮影した写真がピンぼけの場合に備え、私の邪魔にならないよう心がけながら、同じ対象物をスマホで撮影します。地上に止まったキアゲハを撮影しているところです。最近は、助手の写真の方をブログに掲載することもしばしばです。アゲハチョウの夏型の雄、キタキチョウ、ダイミョウセセリ、ヤマトシジミの雄をカメラに収めました。野鳥かカマキリに襲われたのか、ゴマダラチョウの翅が落ちています。ハグロトンボの雄のちゃんとした写真を撮るのに、45分もかかってしまいました。因みに、本日の歩数は11,578でした。

閑話休題、私が三共(現・第一三共)に勤めていた若い頃の座右の書は、『30代に男がしておかなければならないこと』(鈴木健二著、大和出版)、『男が40代にやっておくべきこと』(鈴木健二著、大和出版)でした。両書とも、全篇、赤い傍線で真っ赤です。私の私淑する鈴木健二が数え年91歳で書いた本ということで、エッセイ集『最終版 気くばりのすすめ』(鈴木健二著、さくら舎)を手にしました。

「『わたし』ではなく『わたくし』」には、こんなことが書かれています。「『あたしこの本読んじゃった』とは言いますが、『わたくしこの本読んじゃった』とは言わないのです。『わたくしこの本を読みました』と、ひとりでになるのです。はじめ良ければ終りも良いのです。・・・基本中の基本の結論を言いますと、女性はいつどこでも誰の前でも、自分のことを『わたくし』と呼ぶことです。・・・男性も百歩譲って、工場や会社の片隅での男同士の会話ならば少しは『オレ』も許せますが、会議やお客様や上司の前などの改まった場では、『わたくし』と言えないと、いつまでたっても、平社員で窓際族の立場からの脱出は不可能です。男としての品格に欠けるからです」。私には、自分を「僕」という人の発言は、どうしても子供っぽく感じられてしまいます。

「日本式行儀作法の基本にあったのは、静けさ、美しい形、そして、いかにして相手の方に穏やかな、言わば小さな幸せを感じて戴くこと、つまり、行き届いた気くばりでした」。

「『武器よさらば』の大合唱を」には、戦争体験者として平和を強く希求する思いが込められています。「(私が)必ず書くのは、『武器を捨てよう』なのです。あの昭和20年3月10日の東京無差別大空襲の夜、恐怖のどん底に落し込められた体験と、この世のものではない、つまり人間らしい死に方ではない死に追い込まれ、すさまじい叫び声と形相を、私の目の前で見せながら亡くなって行った無数の臣民を追悼して必ず戦争はするなと書きたいのです」。