榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

0(零)を発見した無名のインド人に感謝を・・・【山椒読書論(166)】

【amazon 『零の発見』 カスタマーレビュー 2013年3月27日】 山椒読書論(166)

普段、何気なく使用している数字の0の発見が、いかに人類に貢献したか、『零の発見――数学の生いたち』(吉田洋一著、岩波新書)がこのことに気づかせてくれた。

0という記号が存在しない場合の状況は、ソロバンで考えると分かり易い。「この0を書く位は、とりもなおさず、ソロバンでいえば球を動かさずに下ろしたままにしておく桁に当たるわけで、何かこういう空位をあらわす記号なしには位取り記数法が成り立たない。すなわち、0こそは実にインド記数法の核心なのである。この一歩こそは人類文化の歴史における巨大な一歩であった。エジプト、ギリシァ、ローマと、時代や場所の変るとともに、形や構造の上に多少の相異がありはしたが、これらの国々では計算は多くの場合ソロバンでおこなわれたと伝えられている。この間、幾千年の時は流れた。しかも、ついにこれらの国々においては位取り記数法は発明されなかった。いいかえれば、零はついに発見されなかったのである」。インド記数法を使用すれば、ただ10個の数字を用いるだけで、あらゆる自然数を自由に書き表せるとは、何と凄いことか。

記数法は2つに分類できると、著者が述べている。筆算するとき使用する「計算数字」と、その計算結果を書き記すとき使用する「記録数字」である。「インド記数法こそ唯一の『計算数字』であり、また唯一のすぐれた『記録数字』でもあるのである」。

「零の発見、単なる記号としてばかりでなく、数としての零の認識、つづいては、この新しい零という『数』を用いてする計算法の発明、これらの事業を成就するためには、けっきょくインド人の天才にまたなければならなかったのであった」。

「それにしても、零の発見という画期的な事業をなしとげた無名のインド人は、その発見がこんにちのように、全世界に恩沢を与える日があろうことを夢にも考えたことがあるであろうか」という著者の言葉が、心に残る。