榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

英国の1万人の少年少女は、なぜ遠いオーストラリアに送られたのか・・・【山椒読書論(179)】

【amazon 『からのゆりかご』 カスタマーレビュー 2013年4月27日】 山椒読書論(179)

第二次世界大戦後、英国の養護福祉施設からオーストラリアに集団移住させられた子供たちが1万人もいたことを知っていますか?

からのゆりかご――大英帝国の迷い子たち』(マーガレット・ハンフリーズ著、日本図書刊行会。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、彼らの親捜しと人権回復のために児童移民トラストを設立し、「あの人たちが自分の過去を理解して、失ってしまったものを少しでも取り戻せるように手を貸したい」と奮闘を続けている著者が、児童移民計画の実態と背景に迫った心凍る書である。

自分たちは輸出され、見捨てられ、忘れ去られたのだと考える児童移民たち。

「心が痛んだり、恐ろしかったり、悲しかったりした時、頼れる人が誰もいなかった。励ましたり、慰めたり、いろんなことを教えてくれる大人が誰もいなかった」。

「ぼくの母は誰なのだろう? どうしてぼくを置き去りにしたのだろうか」。

「何年もの間、遠くからよその家族を眺めては、家族の一員であるとはどういうものか、ぼく自身が家族を持ったらどういう気がするのか理解しようと努めた。つまり自分の母さんと父さんを持つとはどんなことなのかということなんだけど」。

「彼らのうち多くの者が自分の背景に関する情報と、なぜ海のかなたの地に送られたかという理由を知ろうとして、何十年もの間苦闘してきました。彼らの手紙には絶望と落胆とが現れています」。

彼らは出生証明書も証拠書類の類も持っていない。手紙も写真もない。この人たちを過去と結びつけるものは、おぼろげになった遠い記憶の他には何もない。家族を見つけ出したいという彼らの思いは根源的なものであり、家族捜しは同時に彼らの真のアイデンティティ捜しでもあるのだ。

そして、オーストラリアで彼らを待ち構えていたのは、精神的、身体的、性的虐待という悲惨な環境であった。

「修道士たちは人に意思を伝える時は必ず鞭を使ってした。いったい自分はどんな悪いことをしたのだろうか。よそ(オーストラリア)へ送られてしまうような悪いことを、何かしでかしてしまったに違いない、とぼくは思っていた」。

「やつらは子供に対する異常性欲者でサディストだよ。修道士の中には殴ることに快感を覚える奴もいたし、殴る以外のことでスリルを感ずる奴もいた。マーガレット、眠っている小ちゃい子供が起こされてベッドから連れ出される姿がどんなものか、あんたには分かんないよ。寄宿舎から修道士の部屋に連れて行かれるのさ」。

「その後で三人の男が彼を風呂場に連れて行き、順ぐりに性的虐待を行った」。

「ある男性がカースルデアの少年の家(孤児院)にいた時、9歳半でレイプされたと語った。彼はそれからの12カ月の間に20回男から強姦されたのである。また別の少年は18夜連続して犯され、学校で眠ってしまうから止めてくれ、と修道士に懇願しなければならなかった」。

「8歳から13歳までの間、残虐行為のために絶望感がふくれ上がった。心の髄が死に絶え、ぼくは抜けがらにすぎなくなった。機会仕掛けの玩具だ」。

「就職させてもらえるのではなく、彼らは建設作業関係の仕事に留め置かれ、大抵の者は賃金がまったく支払われず、たとえ就職している場合も給料の全額を受け取っている者はまれであります」。

「グッドウッド(孤児院)での刑罰は素早く、時には残虐だった。ソックスに穴があいていた、服にしみをつけていた、祈祷の言葉を間違えたというだけの理由で鞭で打たれた少女たちの話を何回も聞いた。こうした殴打はしばしば皆の見ている前で行われ、少女たちはパンツを引きずり下ろして、ベッドに横ざまに伏せなければならなかった」。

「私には何も権利がなかったのです。私には自由もありませんでした。私は16歳で奴隷も同様でした」。

やがて、過去に遡る著者の執念の追跡によって、児童移民計画の全貌が暴かれていく。

「計画の裏にある論理がはっきりしてきた。英国は社会福祉問題を解消するために金を払い、一方、オーストラリアは人口を増やす。これは慈善団体の基本的理念にぴったりと一致した。彼らには子供たちをスラムから連れ出し、農夫に変えるのが最善の方策だと思われたのである」。

児童移民には英国政府からだけでなく、オーストラリアの連邦ならびに州政府からも基金が提供された。両国共同で男女共に14歳になるまでの児童の生活費と出発時の支度金が提供されたのだ。

地球を半周してのオーストラリアへの子供たちの移送は、英国の児童養護施設の収容人員過多とオーストラリアの労働力不足が生み出した、計画的な社会政策だったのである。英国が20世紀に至るまで臆面もなくこのような冷酷な政策を取り続けたために、多くの者が数十年後まで重い精神的苦痛を背負わされることになったのである。これは英国人による重い告発の書である。