長女が見た家庭における森鴎外・・・【山椒読書論(194)】
エッセイ集『父の帽子――森茉莉エッセー(1)』(森茉莉著、新潮社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)には、長女・森茉莉から見た父・森鴎外の家庭における姿が生き生きと描かれている。
「両国の川開きの日にはいつもは静かな観潮楼(鴎外の自宅)に、家中の人が集まって、いた。・・・ドーン、ドーンと、胸の底に響くような音がして、賑やかな団欒(まどい)の話し声が空に映ったような花火が、黒い空にパラパラと、赤や黄色の火の滴を散らしては消えた。・・・父は黄色い、柔かい着物を着てあぐらをかいて坐り、葉巻を軽く持った手を膝に、「そいつをもう少しこっちへ呉れ」なぞと、左の手で指図したりしている。「パッパ(茉莉は鴎外をこう呼んでいた)・・・」と呼ぶと鋭い眼が、柔かな光りを帯びて、輝き、微笑に崩れた顔が何度も、肯くのだった。小さな私はだんだん昂奮して来て寝に行くのを厭がり、いつまでもそこに居ようとした。・・・私は花火の音がすると、立上って飛び跳ね、父の背中へ廻っていって、飛びついた。父は葉巻の灰を落さぬように、手を軽く据えるようにしながら、『フン、フン』と、低い笑い声を立てるのだった」。
「父が奥の部屋にいる時には、境界(さかい)の唐紙を開けて入っていった。そうして机に向ってなにか書いている父の背中に飛びつき、『まて、まて』と言って父が葉巻を置いたり、筆を置いたりしてから膝をこっちへ向けると、直ぐに膝に乗り、膝の上で少し飛ぶようにした。父は微笑して、『フン、フン』と肯くようにしながら、私の背中を軽くたたくのだった。・・・葉巻の匂いの浸みこんだ父の胸から、温かい愛情が、私の小さな胸へ、通ってくる。・・・『よし、よし、おまり(鴎外は茉莉をこう呼んでいた)は上等よ』と、父は言った」。
エッセイ集『靴の音』の中では、こう書いている。「私にとって、『森鴎外』というものについて書くことはひどく難しい。私は『森鴎外』という人を、よく識らないからで、ある。鴎外について書くのには、私はあまりに何も識らない。私の知っているのは、その膝に乗って体を揺り、歓びに満ちて胸に寄りかかった父で、あった。公園のベンチに腰をかけ、微笑した顔を小刻みに肯かせて、私を側へ招(よ)ぶ父で、あった。生温い襯衣(シャツ)の背中に私を寄りかからせた儘で、屈んで書物を読む父で、あった」。
ここには、写真でお馴染みの厳めしい顔の鴎外でなく、子煩悩な鴎外がいる。鴎外をますます好きになってしまった。