榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

痴漢を犯した男のその後は・・・【山椒読書論(494)】

【amazon 『芥虫』 カスタマーレビュー 2014年10月29日】 山椒読書論(494)

芥虫』(桔梗素子著、KADOKAWA)は、後味がヒリヒリする作品だ。

5年前、高校で「若いのに進路指導に秀でた教師」であった30歳の「俺」は、通勤電車での女子高生への痴漢行為が地方紙に掲載され、依願退職せざるを得なくなった。「事件後すぐに動いてくれたのは妻だった。弁護士を雇い、『妻の妊娠出産で夫婦生活が少なくなり、欲求が溜まっていて魔が差した』という情けない理由を切々と手紙に綴って向こうの親へ訴えようともしてくれた。罰金刑を食らった俺を励まし、慰め、改名を勧めてくれたのも妻だ」。しかし、「あれから5年、一度も妻を抱いていない」。妻が拒否し続けているのだ。

「その後も、周囲の視線と噂話は容赦なく俺達を追い詰めた。増してゆくばかりの憔悴に、(そこそこ人の多い都会の片隅への)脱出を決めるまで時間はかからなかった」。その地で、履歴書に書き込む学歴を旧帝大に属する大卒から高卒へ変えることで漸く、町工場に検品係のアルバイトとして潜り込むことができた。

「こうしていれば、俺は『どこにでもいる』『普通』の『ただの男』なのだろう。現に4年、俺を『犯罪者』だと見抜いた者はいなかった。ここには、そんな愚鈍な人間しかいないのだ。それならずっと愚鈍に徹しきればいい」。「就職してから4年、俺は曲者揃いの中でも異質だったはずだ。かろうじて挨拶はするが、それだけだ。面倒なことはあからさまに嫌がり、お世辞の一つも言わない。飲み会には結局一度も出なかった。他のお偉方には嫌われたが、何故か社長だけは俺の肩を持ってくれた。真面目だ、よくやってくれてる、と俺の一欠片(ひとかけら)を取り上げて褒めてくれた。正社員の話も社長の贔屓としか言いようがない」。「今年の12月10日で、俺の罪は消える。ひたすらに怯え続けた5年がようやく終わる」。

よく出来た妻と無邪気な娘しか残らなかった俺に、正社員になれるかもという希望の灯がともる。しかし、世間は甘くなかった。さらなる転落の道へと追い込まれていく「俺」の末路には、目を覆いたくなる。

「今はもう、後悔しかない。泣きそうになって歯を食いしばれば、唇が震えた。思考は、あの日に戻れるなら、と繰り返し逃避するばかりで現実へ焦点を合わせない。具体的な対策を一つでも考えたいのに、浮かぶのは破滅的なことばかりだ」。「何故『あんなこと』をしてしまったのか。何万回も繰り返した根源の問いを、改めて胸へ置く。出来心だった。魔が差した。激務で精神的に参っていた。浮かぶのはどれも代わり映えのしない内容だ。それ以上、何もない。しかしその一方で消えない疑問がある。どれだけ激務で参っていようと、妻に拒まれ続けようと『しない男はしない』のが事実だ。してしまった俺としていない彼らに、何か違いはあるのだろうか。あるとすれば、それはなんだ。もし『それ』が俺にあれば、防げた『事故』だったのか」。「世間から見れば、『痴漢を犯した』俺は『痴漢を犯していない』奴らよりもろくでもない人間だ。どれだけ全うに生き直そうとしても、奴らの方が下りて来ない限り、俺が奴らと同等になれる日は来ない。納得したくなくても、それが事実だ」。「悔恨は何度でも、あらゆる角度から俺を揺さぶる。死ぬまで俺を揺さぶり続ける。罪を犯すとはそういうことだ。どれだけ悔いても、俺には二度と戻れない場所と越えられない線がある」。

悪漢と呼ぶには、いじまし過ぎる。普通の人間と見做すには、性的自制心が不足している。そうは言っても、「俺」のケースは他人事とは思えない。だからこそ、本書を読み始めたら、最終ページまで手放せないのだ。久しぶりに、人間の本質について考えさせられる、練達のフィクションに出会うことができた。