歌舞伎界の権力闘争の勝利者は誰だ・・・【山椒読書論(267)】
『歌舞伎 家と血と藝』(中川右介著、講談社現代新書)は、歌舞伎に通じている人、歌舞伎に少しでも関心がある人は言うまでもないが、歌舞伎はどうもと敬遠している人にも、ぜひとも薦めたい一冊である。
その理由は、3つある。第1は、歌舞伎界独特のしきたり、掟を知ることができる。第2は、主要な七家の栄枯盛衰を通じて、歌舞伎界の明治から現在までの歴史を通覧できる。第3は、頂点を目指す男の考え方と行動から、権力闘争に勝つための戦略・戦術を学べる。
歌舞伎界は、「家」(歌舞伎界の名門・名家、家系、門閥)と「血」(血統、世襲)と「藝」(その家に伝わる藝の継承)が物を言う世界である。これらのルールに守られている半面、「幹部役者の御曹司は父の存命中はちやほやされ、実力があろうがなかろうがいい役がまわってきて、何不自由なく劇界で生きているが、父の死と同時にその境遇は激変すると言われる」過酷な世界でもある。
本書で取り上げられている七家は、市川?十郎家(現在の代表者:市川海老蔵)、尾上菊五郎家(同:尾上菊五郎)、中村歌右衛門家(同:中村梅玉、中村橋之助、坂田藤十郎)、片岡仁左衛門家(同:片岡仁左衛門)、松本幸四郎家(同:松本幸四郎)、中村吉右衛門家(同:中村吉右衛門)、守田勘彌家(同:坂東玉三郎、坂東三津五郎)である。幸運な家と不運な家、実力がある役者とない役者、幸運な役者と不運な役者が絡み合い、織りなす波瀾万丈の人間ドラマは、どれもフィクションではなく実話なので、心の底まで響く。「(中村)雁治郎家は、家と血統、そして藝が継承されているが、関西歌舞伎衰退により劇界が完全に東京中心になったこともあり、権力闘争からは外れたので、本書には以後、登場することはない」というように、現実は飽くまでも厳しい。
白状すると、私は著者の目論見に逆らった読み方をしてしまったのかもしれない。「第一話 歌舞伎史との並走――市川團十郎家その一」の最後に【市川團十郎家のその後は、第十一話(295頁)】と書かれていたので、「第十一話 大空位時代――市川團十郎家その二」へ飛び、さらに「第十三話 早過ぎる死――市川團十郎家その三」へと読み進めてしまったからである。他の六家についても、同様の読み方をしたのだが、編年体で書かれている同時代の各家の歴史を少しずつ辿るよりも、その家の歴史を現代まで一気に知りたいという気持ちを抑え切れなかったのだ。
本書で描かれる七家間の、そして各家内の勢力争いは、歌舞伎座の座頭という地位を巡って展開される。具体的には、「歌舞伎座の舞台で主役を演じること」を求めての闘争である。その最も見事な成功例は、五代目中村歌右衛門と六代目中村歌右衛門に見ることができる。
「(九代目市川)團十郎と(五代目尾上)菊五郎という二大巨星が墜ちた後、劇界は暫定的に集団指導体制となるが、團十郎存命中からトップの座を公然と狙い、見事にそれを射止めたのが、五代目中村歌右衛門だった。・・・歌舞伎の世界とは無縁の家に生まれた美少年は、どのようにして大名跡と劇界トップの座を手にしたのか」。「芝翫(=五代目中村歌右衛門)は後に『政治家になっても成功する』と言われるが、この頃から劇界政治での権謀術数が目立つようになっていく。芝翫の当面の目標は歌舞伎座の座頭であり、歌右衛門襲名だった。そのどちらが欠けても彼にとっては敗北となる。絶対に両方とも獲らなければならない」。「芝翫以外の役者は政治的なセンスは皆無だ。日々の興行と自分の藝を極めること、そして息子や一門の弟子の面倒をみることしか考えていない。そのなかで彼だけが政治的に動く。まるで赤子の手をひねるように彼は劇界を制圧した」。
「(脱臼手術の)後遺症で左足に障害があった。こうしたハンディを乗り越えて彼は不世出の名優、六代目中村歌右衛門となっていく」。「福助(=六代目中村歌右衛門)には(五代目中村)歌右衛門の血はもちろん、役者の血も流れていない。もし役者の才能のかなりの部分が先天的なもの、親からの遺伝に依っているとしたら、福助はそんなものをまったく持たずに生まれた。それなのに、福助は同世代ではトップの役者に成長した。役をもらえたのは(養)父・(五代目)歌右衛門の威光だが、彼は自分の力でそれを自分のものとした。この擬似親子は二代にわたり、役者にとって大事なのは『血』ではないことを証明したとも言える。親子ではなくても藝は継げる。血のつながりがなくても家と名跡は継いでいい。二人は人生を賭けてそれを証明していく。(五代目)歌右衛門がどこまで自覚していたかは分からないが、福助が立派な役者になることは、血統による世襲に対する異議申し立てでもあった」。「(六代目)歌右衛門の役者人生の特徴は、権力闘争と藝の追求の双方で栄光を?んだところにある。幕内政治に長けた役者は何人もいたであろうが、そういう人は舞台の上では大成しない。その逆に名優の多くは政治センスがなく、『役者バカ』と呼ばれるように芝居のこと以外は何もできないタイプが多い。歌右衛門は舞台での藝も極め、さらに劇界政治でも勝利するという稀な人物だった」。
本書は、「歌舞伎の世界は世襲といえども、必ずしも実子が継いでいるわけではない。そして名家に生まれただけでは主役は務められない。名家だからといって、いつまでも続くわけではない」ことを、丹念な文献渉猟と、確かな表現力で示した力作である。