榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ある中堅書店の本大好き店長の苦闘の記録・・・【山椒読書論(364)】

【amazon 『傷だらけの店長』 カスタマーレビュー 2013年12月26日】 山椒読書論(364)

小さな時から本が好きで、本屋が好きで、現在もしょっちゅう本を読み、本屋を訪れている。行きつけの三省堂書店神保町本店、紀伊國屋書店流山おおたかの森店だけでなく、細切れ時間を見つけては、あちこちの本屋を覗いている。本屋に入ると、なぜか落ち着くのだ。本屋で過ごす時間は、限りなく楽しい。

こういう本好き、本屋好きの私にとって、『傷だらけの店長――それでもやらねばならない』(伊達雅彦著、パルコ エンタテインメント事業部)は、意外な内容に満ちていた。

本屋に勤め始めた頃を、著者は、「ただひたすら本が好きで好きで、好きな本を買って後は、生きてさえいければどうでもよかった。自分の持ち場が気になって、休みの日まで店に出てきていた日々。新刊の箱が店に届くのが待ち遠しくて、他のスタッフと争ってまで一番に開封していたあの頃」と回想している。

ところが、店長になると、このように変化してしまう。「朝から晩まで店にいれば、怒るネタには事欠かない。朝出勤すればすぐに理不尽なほど組みにくい付録雑誌との格闘、いつまで経っても来ないし問合せれば行方不明の客注品、次々に来訪する出版社営業の対応で進まない陳列作業、意味不明の客の問合せやクレーム、ときおり電話を寄越し、宣言のごとく一方的な指示を発してくる本部、寝坊して遅刻する従業員、計算が合わないレジ・・・出勤から退勤まで、そのつど噴出しようとうねるマグマのような灼熱物を、いつも身の内に感じている。感じつつも噴出させまいと耐える私がいる」。

「私は本のプロである。プロである以上、本のことで困っている人や尋ねてくる客がいれば全力で当たらなければならない。そう信じて仕事をしている。だから彼女の好みを把握し、納得する本を必ず探し出して推薦してみせる。こうなれば意地だ。私は書店員生命を懸けるくらいの気持ちだった」。こういう書店員に出会うと嬉しくなる。

「そのお客さんからは『匂い』がした。私と同類の『匂い』である。その老年の客は、この狭い店で、なぜ車谷長吉の本をこれほどまでにきっちり揃えているのかと、作業をしていた私に尋ねてきた」。客の私のほうでも、たまたま対応してくれた書店員、ふと立ち寄った本屋に、自分と同じ「匂い」を感じることがある。

「本屋として営業するからには、売上が、金が欲しい。しかしその先にある、『本を売る』という行為の本質的な喜び、楽しさを、彼(=別の店長)は知っている。それはたぶん、私が『知っている』のと同じものに違いない」。

しかし、状況が激変する。「私が店長を務めるこの店は、かつては地域一番店として隆盛を誇っていた時代もあった。しかし、近くに数倍の規模を持つ大型書店が進出してきたことで、見る間に売上を落とし、たちまち青息吐息の状態に陥った。少しでもその降下を防ぐために、周囲の助言と協力を得ながら、考えつく限り、そして資金が許す限りの方策や工夫、努力を重ねてきたつもりだった」。

力尽き、閉店を余儀なくされた著者は、20数年の書店員生活に別れを告げる。それでも、後進の志ある書店員たちに、エールを送らずにはいられない。「誰ひとりにも、『本』に対しての熱い思いだけは失ってほしくない、と私は願う。売上の減少に頭を悩ませ、理不尽な客のクレームにうんざりし、データ本位で構成された棚を前に奥歯を噛みしめ、本が思うように入荷しないことにため息をつきながらも、本を愛する気持ちだけは失くさずにいてほしい」と。

この本によって、書店員の苦労と悩みを知ってしまったからには、もう能天気に本屋の空間を回遊できないかもしれない。