『山椒大夫』は、意外な物語だった・・・【山椒読書論(423)】
『ちくま日本文学全集 森鴎外』(森鴎外著、筑摩書房)には、森鴎外の『安井夫人』『高瀬舟』『寒山拾得』『舞姫』などが収められている。
これらを久しぶりに読み返していて、意外な感を覚えたのは、『山椒大夫』であった。
ご存じのように、父の行方を尋ねる旅の途中で、人買いに騙され、母、女中と引き裂かれ、丹後の由良の港の山椒大夫という分限者のもとで奴婢(奴隷)として苦労する姉弟の物語である。
「姉と弟とは朝餉を食べながら、もうこうした身の上になっては、運命に下に項(うなじ)を屈めるより外はないと、けなげにも相談した。そして姉は浜辺へ(汐汲に)、弟は(柴苅に)山路をさして行くのである」。安寿は14歳、厨子王は12歳だというのに、この健気さよ。的確な状況判断を下せずに、いつまでもいじいじしている大人は二人を見倣うべきである。
自分の身を犠牲にしても弟を都へ逃そうと決意した、15歳になった安寿の台詞――「あの中山を越して往けば、都がもう近いのだよ。筑紫へ往くのはむずかしいし、引き返して佐渡へ渡るのも、たやすい事ではないけれど、都へはきっと往かれます。お母あ様とごいっしょに岩代を出てから、わたし共は恐ろしい人にばかり出逢ったが、人の運が開けるものなら、善い人に出逢わぬにも限りません。お前はこれから思い切って、この土地を逃げ延びて、どうぞ都へ登っておくれ」。この安寿の確率論に基づく説得の素晴らしさよ。
都に上った厨子王は、清水寺の籠堂で寝るが、翌朝、参籠していた関白の藤原師実に声をかけられるところから、運命が好転していく。やがて丹後の国守に出世した厨子王改め平正道は、丹後一国の人の売買を禁止する。「そこで山椒大夫もことごとく奴婢を解放して、給料を払うことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、この時から農作も工匠の業も前に増して盛になって、一家はいよいよ富み栄えた。・・・安寿が亡き迹は懇に弔われ、また入水した沼の畔には尼寺が立つことになった」。ちょっと待て、安寿の菩提を弔うのはいいが、悪逆非道の山椒大夫一家が以前にも増して富み栄えたとは何事だ。意外を通り越して、怒りを覚えてしまった。
物語の最後で、正道は、佐渡の大百姓家の庭の蓆に座り、干した粟を啄みにくる雀を長い竿で追っている襤褸を着た女を見かける。「女の乱れた髪は塵に塗れている。顔を見れば盲(めしい)である。・・・女はこう云う詞を繰り返してつぶやいていたのである。安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾(と)う疾う逃げよ、逐わずとも」。遂に、変わり果てた母を発見した瞬間である。ああ、よかった。