井沢元彦のおかげで、幕末の裏事情が見えてきた・・・【山椒読書論(431)】
井沢元彦の「逆説の日本史」シリーズを愛読しているが、『逆説の日本史(19)――幕末年代史編Ⅱ 井伊直弼と尊王攘夷の謎』(井沢元彦著、小学館)では、3つのことに驚かされた。
第1は、当代随一の名君である島津斉彬が、実父・島津斉興(前藩主)によって毒殺されたこと。第2は、大老・井伊直弼が腹心の報告を信じ込んで、安政の大獄という史上稀な暴挙をしでかしたこと。第3は、孝明天皇が、公家の言いなりどころか、強固な自分の意志(鎖国・攘夷)を持つ天皇であったこと。
第1の点――「(斉彬は)自ら起こした近代的工場(集成館)で最新鋭のライフル銃を作り、それで武装した三千の兵を率いて京に入り、『朝廷および天皇(禁闕)』の後ろ盾となって日本の政治を改革しようとした。平たくいえば『クーデター』を起こそうとしたが、薩摩において訓練中に病に倒れ、数日間寝込んだだけで『病死(死因はコレラとも赤痢とも言われている)』した、というのが歴史学界の通説なのである」。ところが、「斉彬は毒を盛るという手段で暗殺されたのだと、私は確信している」。決定的な証拠(史料)はないが、状況証拠は揃っているというのだ。かねて斉彬の近代化への費用投入を大浪費と非難していた斉興は、「『斉彬め、兵を率いて上洛などすれば、藩が取り潰されてしまうではないか、このバカ者め』と、思ったに違いない」と推考している。
第2の点―-直弼が一番信頼し、直弼の手足となってさまざまな秘密工作を担当してきた腹心の国学者・長野主膳の報告(孝明天皇の意に背いて開国を進める幕府<直弼>に断乎攘夷を実行せよと命じた戊午(ぼご)の密勅は、直弼の敵派閥のリーダーである水戸斉昭が黒幕となって仕掛けた大陰謀である)を、-直弼が鵜呑みにしてしまったというのである。「この長野という男、学者とはいえ極めて有能なエージェントであった」。「長野は、とんでもないことを直弼に情報として送った。それは『今回の密勅の一件はすべて水戸斉昭が黒幕の大陰謀であり、孝明帝の真意とはまるで違うものだ』というのである」。これを真に受けて、紀州藩主の徳川慶福(後の家茂)を次の将軍にしようとする紀州派のリーダーである-直弼は、一橋慶喜(斉昭の息子)を次の将軍に推す一橋派を徹底的に弾圧、粛清すべく安政の大獄に突き進んだのである。
第3の点――「(孝明)天皇は江戸時代初期から二百数十年にわたって育成されてきた『天皇教』の法王であり、日ごろから神に仕えて日本の平和と民の安寧を守る責任があると自覚しています。天皇が鎖国(攘夷)に固執するのは、その信仰があるからなのです。いってみればイデオロギーの問題であり、(外国を)好き嫌いの問題ではありません」。実に卓見である。