日本の近現代の7つのヌードが孕む謎を解き明かす・・・【山椒読書論(503)】
【amazon 『ヌードと愛国』 カスタマーレビュー 2014年12月9日】
山椒読書論(503)
『ヌードと愛国』(池川玲子著、講談社現代新書)は、ヌード像を通じて近現代の日本女性史を考えようという書である。
「近代日本のヌードは、欧米文化を受けとめた、日本という国家の胎から生まれたからだ。芸術的なヌードの創出、それは、脱亜入欧を国是とした明治政府が、欧米諸国をモデルに必死に推し進めた近代化政策の柱の一つだった」。
「日本は勤勉に学んだ。美術学校を作り、西洋人教師を雇い、(黒田清輝らの)留学生を本場ヨーロッパに派遣した。これらの経路を伝い、近代西洋という限られた時空間の技術と美意識が、普遍的な価値を持つものとして、江戸以来の日本の文化に接続される」。「裸体画をめぐるひとしきりの騒動の後、日本にも芸術としてのヌードが定着していく。美術学校ではモデルを使ったヌードデッサンが当たり前になり、ヌードを芸術として理解し得る『文明』的な国民の育成が目指される」。
「ヌードに限らず、ありとあらゆる創作物は、工業製品を同じくその時代の政治や社会や文化から生み出される。ゆえに各ヌードは、おのおのが創られたその時代の『日本』を着こんでいるはずだ」。
「デッサン館の秘密――智恵子の『リアルすぎるヌード』伝説」、「Yの悲劇――『夢二式美人』はなぜ脱いだのか?」、「そして海女もいなくなった――日本宣伝映画に仕組まれたヌード」、「男には向かない?職業――満州移民プロパガンダ映画と『乳房』」、「ミニスカどころじゃないポリス――占領と婦人警察官のヌード」、「智恵子少々――冷戦下の反米民族主義ヌード」、「資本の国のアリス――70年代パルコの『手ブラ』ポスター」という7つのヌードが孕む謎を解き明かす作業を通じて、日本近現代史を「はだか」にしていく著者の手際は鮮やかだ。