榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

我が家のすぐ近くに陸軍柏飛行場があったことを、初めて知った・・・【情熱的読書人間のないしょ話(167)】

【amazon 『柏にあった陸軍飛行場』 カスタマーレビュー 2015年9月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(167)

散策中に、飄々とぶら下がっているヒョウタンの実を見つけました。少し行った所でイチジクの色づいた実の写真を撮っていたところ、年配の主が出てきて、自分も写真が趣味とのことで、熟したイチジクをもぎって食べさせてくれました。甘さに彼の好意が上乗せされた味わいでした。

P1020681

P1020682

P1020689

P1020648

閑話休題、『柏にあった陸軍飛行場――「秋水」と軍関連施設』(上山和雄編著、芙蓉書房出版)を読み始めて、びっくりしました。口絵の「かつての柏飛行場の正門――正面に見えるのは、陸上自衛隊柏通信所の施設」というキャプション付きの写真に写っているのが、私たち夫婦がいつも買い物をするスーパーの隣に立っている門そのものだったからです。

「当地域が大きく変わる契機となったのは、昭和12(1937)年、日中戦争が始まる直前に決まった陸軍柏飛行場の開設です。第一次世界大戦後急速に発達する飛行機に対する航空戦力の充実、帝都防衛の拠点としての飛行場が必要とされ、陸軍は広大な林野からなり、所有者も限られている田中村十余二の林野をその一つとして選んだのです。日中戦争が始まり、柏飛行場が開設されると、続いていくつもの陸軍施設、軍事関係施設が建設されます」。その後、この飛行場の邀撃戦闘機部隊と米軍のB29との間で死闘が繰り広げられることになります。

大正8(1919)年生まれの地元の老人の話。「生まれたのも育ったのも、現在の場所です。・・・今の県道守谷流山線はもともと道としてはありましたが、馬車がやっと一台通るぐらいの道。砂利など一粒もなく、両側からクヌギやナラが覆いかぶさる、ひどい道でした。道が広く、よくなったのは戦争の時です。住んでいる場所のすぐ近くに飛行場ができましたが、私たちにとっての始まりは昭和12年頃です」。

大正13(1924)年生まれの、柏飛行場で初年兵だった老人の話。「特攻隊の振武隊はほとんど、柏、宇都宮、舘林の飛行場から来ていました。飛行機は原隊から搭乗してきた九七戦、一式戦(隼)といった古いものや二式戦で、特攻用に軽くされ、機銃もはずされていました。隊員は少年飛行兵や陸軍特別操縦見倣い士官で、知覧に1週間もいないで出撃していきました。彼らの食事は毎食、米飯、酒、航空糧食などが出ていましたが、そのうち人影がなくなり、遺品がポツンと残っているのを見ると万感迫りました」。

ここ千葉県・柏に移り住んで30年近くになりますが、本書によって、我が家の周辺の歴史を初めて知ることができました。