榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

昔話の主役が老人なのには、それなりの理由があったのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(174)】

【amazon 『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』 カスタマーレビュー 2015年9月19日】 情熱的読書人間のないしょ話(174)

散策中に。早くも橙色に色づいたカキの実を見つけました。過日、掲載したジョロウグモについて、読者から、「この写真ではタイガース模様かよく分からない」というクレームがありましたので、ジョロウグモの拡大写真をアップします。大きいほうが雌で、上方の小さいのが雄です。命懸けの交接を終えた雄は姿が見えなくなりますが、雌に食われてしまうケースが多いようです。我が家の庭では、キンモクセイの甘い香りが漂い始めました。因みに、本日の歩数は10,097でした。

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閑話休題、『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(大塚ひかり著、草思社)は、このテーマに正面から取り組んだ力の籠もった論考です。「昔話の登場人物で一番多いのは誰でしょう。答えは『お爺さんとお婆さん』。昔話は必ずといっていいほど、『むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんがいました』で始まり、登場人物もメインは老人です。なぜ昔話では、こんなにも老人が活躍するのか。生産性の低い『弱者』であるはずの老人が重要な役割を果たしているのか」。

まだ日本に文字のなかった時代から語り継がれてきた昔話では、①子や孫のいない老人が大半、②老人は大抵貧乏で、いつもあくせく働いている、③老人は子や孫がいても、「姥捨て山」説話に代表されるように捨てられるなど「冷遇」されていることが多い――と分析されています。

昔話はなぜ老人が主役なのかという問いに、著者は4つの答えを提示しています。第1は、老人の社会的地位の低さです。有力な働き手となり得ない非力な老人は、貧しく不安定な当時の社会では、基本的に「社会のお荷物」だったというのです。最底辺の老人が、長く生きた老人ならではの智慧と知識で社会を救うという逆転劇が人々を面白がせたのです。

第2は、老人が有する物語性です。老人には、その長い人生にふさわしい、変化に富んだ物語があるというのです。「老人ほど、容姿・言動・性格において、変化に富んだ存在はありません。それは一個人の歴史を見てもそうですし、老人同士を比べても、『これが同じ人間なのか』と驚くほどです。老人は『キャラクターが立っている』のです。そういう極端さが、神にも鬼にもなり、『いいお爺さんと悪いお爺さん』という書き分けにつながっている。昔話が語り口の面白さにあるとしたら、こうした老人ほどふさわしい存在はないでしょう。昔話に描かれる老人の二面性は、実は、人間誰もがもつ二面性の象徴でもあります」。

第3は、昔話の語り手が老人だったことです。「語り手と主役はしばしば重なるものです。語り手が老人であれば、その内容も老人の知識や体験に基づくものになります」。

第4は、昔話の目的がコミュ二ケーションだったからです。「昔話を語ることによって、聞き手との交流をはかる。退屈な夜のひととき、あるいは、いろりを囲んで夜なべをする子や孫に、老人がそれまでの経験から得た話、近所の噂話から得た話、自分が子供時代にやはり老人から聞かされた話を、伝える。その時、話の主役は自然と老人そのものに重なっている」。

昔話と老人というテーマからは少し離れますが、浦島太郎はなぜ鯛や平目の舞い踊る宴に招かれたのか、という問いに対する答えは意外なものでした。浦島太郎が竜宮城に行った本当の理由は、乙姫と結婚するためだったというのです。浦島太郎に限らず、男女の性愛がテーマの昔話が多かったのですが、昔話が童話に変身した段階で、その要素が隠されてしまったと、著者は言うのです。