榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

歴史に寄り添いながら、虚構を交え、精緻に織り上げられた芸術物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(226)】

【amazon 『嵯峨野明月記』 カスタマーレビュー 2015年11月16日】 情熱的読書人間のないしょ話(226)

散策中に、天に向かってすっくと伸びている3mほどのコウテイダリア(キダチダリア)に出会いました。薄紫色の花が青空に映えています。見事に紅葉したツタ、モミジバフウも見つけました。小さなキクたちもまだ頑張っています。因みに、本日の歩数は10,736でした。

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閑話休題、『嵯峨野明月記』(辻邦生著、中公文庫)を読み終わりました。17世紀の初めに出版された「嵯峨本」という豪華絢爛たる古活字本を巡る歴史小説ですが、随所に辻邦生らしい意匠が凝らされています。

歴史的事実に寄り添いながら、虚構を交えて、芸術世界が華麗に紡がれていきます。

「一の声」は、自然に現世の変転を超えた情感を感じ取り、それを書に託そうとする「私」こと本阿弥光悦、「二の声」は、奔放に生き、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの栄枯盛衰にも心を動かされず、心に宿ったものを絵で表現することに打ち込む「おれ」こと俵谷宗達、「三の声」は、家業に勤しむ一方で、学問、芸術への執着を捨て切れない「わたし」こと角倉素庵――という三者の心の内が交互に語られるという形で物語が進行します。

「嵯峨本」は光悦、宗達、素庵が持てる力を結集して創り出した芸術作品の極致ですが、もし辻がこの時代に生きていて、この企画に参画していたら、どんな工夫を付け加えただろうかと、興趣を掻き立てられます。

「一の声 ・・・私が角倉与一(素庵)から活字本の装幀を依頼されたのは、妻と家父が相ついで死んだ慶長のはじめ頃であったろうか。正確な日附はもう記憶にない。・・・ともかく与一の依頼してきた装幀と版下書体は、その頃私が考えていた仕事を先廻りして示す恰好になった。・・・しかし与一が後に私に話したところでは、私の書を木活字の版下にして、宗達料紙を用いた豪華な書物をつくろうと思いたったのは、私が家職の刀剣の目録や系譜を明らかにするため本朝古今銘尽を出させ、その版下を私が書いたのを見たときだったという。私は角倉与一から相談を受け、すでに刊行されている謡本や史記を示されたとき、ほとんど自明のように、かねがね考えていた王朝風の優雅華麗な書物をつくるように言ったのである。・・・もし私がそれに専念して貰えるなら、自分は異論はないどころか、そのための経費一切は喜んで引きうけたいと言った。『それはわたしの夢だったのです。母に王朝物語を読んでもらった頃からの夢だったのです。宗達色紙に光悦殿が書かれた和歌のような華麗な世界が、もし書籍印行で実現できるのだったら、それは望みに過ぎるというものです』。与一はそう言った」。

「二の声 ・・・突然、おれは、まだ自分が、十分に掘りつくされていない鉱山のような気がした。・・・おれはまだ掘りつくす何かがある。おれの身体の奥の奥に、まだ、じっと身をひそめて、掘りだされるのを待っているものがある。あの男はそのことを嘲笑しながら言ったのだ。その通りかもしれぬ、と、おれは大声で独りごとを言った。おれはまだまだ暴れなければならぬ。まだまだ掘りつづけねばならぬ。おれはそう思った。そうだ。おれは、それから、金銀泥ばかりでなく、彩色の筆をとるようになった。それも、土佐のやつらが眼をむくような極彩色を、だ。・・・又七、絵とはな、よく聞け、そのなかで、永遠に夢をつむぐことだ。たとえ、それが憎悪の夢であってもな。おれは絵師だ。絵師以外の何者でもない。おれは、おのれの絵を、この乾坤のまっただ中に据えるのだ」。

「三の声 ・・・下らぬ女々しい心を斬りすてねばならぬ、父の偉業をつがねばならぬ、という日々の思いは、颱風のように、毎日、わたしの心で渦巻いた。そして時間をつくって嵯峨野の別邸に戻り、書物の山に埋まって、こつこつと註解や異本を調べていても、当初の満足は、次第に、心許ない、隙間風のような不安に、とって変るのである。わたしは自分がいつか嵯峨本印行にも身を挺することもできず、秀三郎にまかせきりだったことを思った。書物と実務の世界の結合――それはかつてわたしの夢であり、希望であり、憧れだった。それは本阿弥や宗達の力で思いも及ばぬ華麗な世界をつくりだし、公家衆や町衆の評判をとった。しかしわたしはそこにも安住できなかった。そこに心から深々と落着くことができなかった」。

じっくり味わえば、十分に、いや十二分に応えてくれる、芸術作品のような一冊です。