自分がモラトリアム人間だったことを認識させられた著作・・・【情熱的読書人間のないしょ話(266)】
我が家の2階から見えた明けの明星(金星)は輝きを放っていました。その後の初日の出も輝いています。屠蘇と雑煮で新年を寿ぎ、御節を突いた後、書き手一人ひとりの顔を思い浮かべながら、炬燵で賀状をゆっくり捲っていくと、すっかり正月気分です。公園では、いくつもの凧が上がっています。正月に親子連れで凧揚げを楽しむという風習が現在も続いているのは嬉しいことですね。因みに、本日の歩数は11,012でした。
閑話休題、『モラトリアム人間の時代』(小此木啓吾著、中公文庫)を、久しぶりに読み返しました。学生時代の私は、準備に時間をかけ過ぎ、なかなか本番に踏み出せないモラトリアム人間でしたので、この書に納得感を抱いたことを懐かしく思い出します。幸いなことに、社会人になるや否やモラトリアム状態を脱することができ、即断即行人間に変身し、今日に至っています。
著者が提唱した「モラトリアム人間」(猶予期間にある人間)という概念は、このように説明されています。「①まだいかなる職業的役割も獲得していない。②すべての社会的かかわりを暫定的・一時的なものとみなしている。③本当の自分はこれから先の未来に実現されるはずで、現在の自分は仮のものにすぎないと考えている。④すべての価値観、思想から自由で、どのような自己選択もこれから先に展開されている。⑤したがって、すべての社会的出来事に当事者意識をもたず、お客さま意識しかもとうとしない」。このような心理が生き方や日々の生活の基本にあるのが「モラトリアム人間」だというのです。
著者は、モラトリアムは、人間が人間化する上での必須条件とし、モラトリアム人間の対極に位置する「モラトリアムなし人間」は、成熟した内面的自我を養う機会に恵まれない虞があると指摘しています。
本書では、個人のモラトリアムに止まらず、組織、社会、国家におけるモラトリアムについても考察されています。
モラトリアムが人間として成長するのに必要な期間としても、いつまでもモラトリアム状態に留まることは好ましくありません。「われわれすべてが何らかの形で共有している社会的性格としてのモラトリアム人間の心理構造を、主体的にどう昇華していくかにかかっている」。