本書のおかげで、神道、仏教、儒教、道教の関係が、よく分かった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2137)】
ジョウビタキの雌(写真1)、ホオジロ(写真2)、ムクドリ(写真3)、ツグミ(写真4~6)、ヒヨドリ(写真7)、ドバト(カワラバト。写真8)をカメラに収めました。我が家の庭師(女房)に言われ、庭の片隅でひっそりとキズイセンが咲いているのに気づきました。
閑話休題、『いつまでも親がいる――超長寿時代の新・親子論』(島田裕巳著、光文社新書)では、ユニークな親子論が展開されています。
私にとって、とりわけ興味深いのは、神道、仏教、儒教、道教の関係が論じられている「何が日本の親子関係を規定しているのか」の章です。
「日本には、土着の神道があり、そこに仏教が伝来しました。神道と仏教は、その成り立ちがかなり違うので、対立することなく、共存する形をとってきました。なぜそうなったのでしょうか。私は、神道のことを『ない宗教』と呼んできました。神道には開祖がなく、教えや聖典もなく、救いの手立てもないからです。それに対して仏教は『ある宗教』としてとらえることができます。ブッダという開祖がいて、教えや聖典があり、救いの手段についてもさまざまなやり方が開拓されてきたからです。もし、神道にも開祖がいて、『ある宗教』だったとしたら、仏教と対立したはずです。教えが異なっていたら、両方の宗教に従うことが難しくなります。そうなれば、どちらの教えが優れているか、その点をめぐって争いが起こるに違いありません。ところが、ない宗教とある宗教という形で、その性格が異なっていたために、神道と仏教は対立することなく、むしろ融合してきました」。それを象徴するのが、中世から近世まで続いた「神仏習合」だというのです。
「仏教はブッダによって説かれた宗教で、インドに誕生しました。だからこそ、輪廻転生の考え方などインドの世界観を基礎にしているわけです。インドで誕生した仏教は、その後、周辺の国々に広がっていきます。日本の仏教にもっとも大きな影響を与えたのは中国仏教です。中国では、僧侶たちがインドへ出向き、聖典であるお経を大量に持ち帰り、それを翻訳することで仏教の興隆を図っていきました。・・・仏教の場合には、そもそも原典がはっきりしていません。ブッダの教えをそのまま伝えているものは、実際には存在していないのです。最初に生まれたのはパーリ語の仏典、お経ですが、これでも、ブッダが亡くなった後、かなり時間が経ってから作られたものです。生前のブッダが説いたことが明確なものはないので、これを原典として扱うことはできません。まして、ブッダの死後数世紀が経って作られたと考えられるサンスクリット語の大乗仏典ともなれば、果たしてそれをブッダの教えと言っていいのか、そこからして問題になります。仏教には、原典などないと言えます。したがって、根本に立ち戻ることが難しい宗教で、歴史とともに次々と新しい教えが生み出されてきました。『空(くう)』などという考え方は、パーリ語のお経にはまったく出てきません。それは、大乗仏教になってはじめて説かれるようになった教えなのです」。
「(中国仏教には)仏教が取り入れられる以前に存在していた中国土着の宗教、儒教や道教の影響が見られます。中国の人々は、儒教や道教に親しんでいるなかで仏教を取り入れました。そのため、中国の仏教は儒教や道教の影響を強く受けることになったのです。儒教は孔子が開祖で、現実の社会のなかで、どのように生きていくかを説いた宗教です。とくに孔子が問題にしたのは、為政者の姿勢で、そこでは徳ということが重視されました。徳は、人格者のとるべき態度ということになりますので、一般の人々にも重要なものになっていきます。一方、道教は老子が開祖ですが、儒教とは異なり、現実の社会を超えた神仙の世界に生きることを理想とします。ただ、道教では、現世利益の実現をめざす呪術的な信仰も発展しましたので、庶民のあいだでも信仰を集めました。儒教と道教が浸透しているなかに、仏教が外来の宗教として取り入れられたわけですから、仏教は大きく変容していきました。儒教や道教に傾倒した中国の人々の求めるものでなければ、仏教は広がることはなかったのです」。
「中国で仏教が取り入れられるなかで、新しいお経が作られることになりました。インドで作られたお経だけを本物としてとらえる立場からすれば、これは、偽のお経、『偽経』ということになります。けれども、そうした中国製のお経では、中国の人々に受け入れられやすい教えが説かれましたから、仏教を広げることに役立ちました。偽経の代表が、お盆の行事を生んだ『盂蘭盆経』です」。
大乗仏教の正体が明らかにされているなど、本書のおかげで、私の頭の中をスッキリ整理することができました。