榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

鉄文化は、朝鮮半島からの難民がもたらしたという刺激的な仮説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(267)】

【amazon 『古代史の謎は「鉄」で解ける』 カスタマーレビュー 2016年1月3日】 情熱的読書人間のないしょ話(267)

散策中に、ほのかに漂う香で、全体が黄色い花を咲かせているソシンロウバイに気がつきました。ウメは赤紫の蕾をたくさん付けています。棘の塊のようなモミジバフウの実がいくつも落ちています。池に反射した陽の光がオギの群落を浮き立たせています。因みに、本日の歩数は12,948でした。

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閑話休題、『古代史の謎は「鉄」で解ける――前方後円墳や「倭国大乱」の実像』(長野正孝著、PHP新書)には、驚くべきことが書かれています。

「倭(国)」というのは、人種、言語、宗教を問わず、海の交易、とりわけ鉄を運ぶことを生業とする海洋民族たちが連携した都市国家群だったというのです。「倭人は九州、西日本の島嶼部、朝鮮半島西部海域から遼東半島付近まで活躍していた海洋民族だったのである」。「人種も違う、言葉も違う、宗教も違う5世紀の倭国都市連合には、中央主権的な王権はないし、国境も存在しなかったと見てよい。交易と共通の敵、高句麗と戦うことのみによって繋がった都市国家群であった」。

また、日本列島の鉄の文化は、古代の朝鮮半島からの難民たちがもたらしたものだと主張しています。「(高句麗の広開土王による)倭国大敗の150年後、562年に(倭人の朝鮮半島における拠点の)伽耶が滅亡し、その後100年、盟友の百済も同じ騎馬民族の新羅に660年滅ぼされる。そして、百済復興を助けるべく、出兵した日本も663年の白村江で唐・新羅の連合軍に敗れた。海洋民族は騎馬民族にはどうしても勝てない。しかし、その高句麗も668年に唐・新羅連合軍に滅ぼされてしまった。朝鮮半島の倭国が滅びるまでの200年、倭人と伽耶人は、すこしずつ九州・瀬戸内海を経由して帰化した。・・・663年の白村江の戦いの前には、さらに大量の鉄がやってきた。・・・次に、唐によって高句麗が668年滅ぼされ、大勢の高句麗人も来た。彼らは東日本の同胞のところに居を構えた。・・・その後、新羅人も近畿にやってくる。・・・伽耶は、朝鮮半島の歴史にほんの一時、瞬間的にできた海洋国であり工業国であった。だが、ここの工人の多くは大阪平野に移住し、強大なヤマトの国をつくることになる。一方、モノづくりの民を追い出した朝鮮半島は、産業が空洞化し、搾取する貴族と働いても報われない奴隷の国として残った」。この一節の最後の部分は、いささか辛辣過ぎるようですが。

さらに、前方後円墳は、そこに人や舟が集まる工夫がなされている、鉄を中心とする巨大な公設市場、接待場、宿泊施設だったとまで言っています。「突然、5世紀頃に全国同時に、鉄を大量に副葬品にする古墳が増えている。古墳という市場で鉄の取引が数多く行われ、寄進があったものの一部がそこの豪族の副葬品になったのであろう。倭国は高句麗の広開土王に敗北したが、結果としては日本海を挟んで離れていた鉄の精錬所を集約したことで、却って工業力を高めることができた」。この古墳に関する仮説については、納得しない人が多いのではないでしょうか。

こういう刺激的な仮説に接すると、ワクワクしてしまう私なのです。