榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

利休はなぜ自決を迫られたのか、利休と秀吉の間に何があったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(415)】

【amazon 『天下人の茶』 カスタマーレビュー 2016年6月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(415)

散策中に、灯籠を見かけると心が落ち着きます。因みに、本日の歩数は10,088でした。

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閑話休題、『天下人の茶』(伊東潤著、文藝春秋)には、見事に一本取られました。千利休の高弟たち――牧村兵部、瀬田掃部、古田織部、細川忠興、山上宗二――と利休とのやり取りを通じて、利休の目指した茶の湯が立体的に浮かび上がってくる趣向はなかなか洒落ているなと思いつつ読み進めていったのに、思いもかけない、恐るべき結末が待ち構えていたのです。

豊臣秀吉も茶の湯に関しては利休の弟子なのですが、利休は秀吉からなぜ自決を迫られたのか、利休と秀吉の間にいったい何があったのか、利休と秀吉の長い闘いで最終的な勝ちを収めたのはどちらか――を巡り、著者の小説家としての想像力、創造力が本書の隅々まで行き渡っています。

「その草庵数寄屋を出た時、古田織部は利休の言ったことを思い出していた。――茶の湯とは、人をまねることではない。己の創意を凝らすことだ。胸内からわき上がる創意を作意に昇華し、人目に晒す。それをどう見られるかで、茶人の価値が決まる」。

「利休の茶の湯が、鄙びた草庵で身を寄せ合うようにして行われていたのと対照的に、織部の茶の湯は広い書院や広間で行われ、それに見合った数寄屋や室礼を編み出した。織部窓と呼ばれるようになる床の下地窓、蒲天井、太い中柱、派手な袖壁などが、織部の数寄屋の基本である。また数寄屋の外に置かれる手水鉢も、利休がつくばう(しゃがむ)ように低い位置に設けたのとは対照的に高く据え、武将たちが胸を張って手を洗えるようにした。そのほかにも、織部は細かく茶法を規定した。かくして織部の茶は、利休の草庵風侘茶の精神を継承しつつも、桃山時代を生きた武家の好む『豪放』『華麗』『絢爛』『雄大』といった要素を取り入れ、急速に広まっていった」。

小堀遠州と言えば、卓越した作庭家とばかり思い込んでいたのですが、茶人としての面にもスポットが当てられているので、大変驚きました。「小堀遠州は茶の湯に王朝文化の美意識を取り入れ、茶の湯を知的で洗練されたものへと変質させていった。こうした趣向は、平和な時代を迎えた(江戸時代の)武士たちを魅了し、遠州流は武家茶道の本流として栄えていくことになる」。遠州の「きれいさび」は、利休の「侘茶」とも、師の織部の「かぶいた茶」とも異なる、退屈な茶の湯だったと、著者は位置づけています。

自分も、利休が点てる馥郁たる香りを漂わせる茶の相伴に与っているような気にさせられる、手練れの時代小説です。「宗易(利休)の点前に見とれていると、宗易が天目を秀吉の前に置いた。緑色の渦が絶妙の泡立ちを見せ、そこから上がる馥郁たる香りが鼻孔に満ちていく。早速、作法に従って天目を回すと、秀吉は一口、喫した。――うまい。宗易の点てた茶は、濃すぎることもなく薄すぎることもなく、ほどよく舌を刺激する。喉から胃の腑に流れ込む熱さえも、何か特別のものに感じられる」。