アメリカ・ユーラシア・アフリカ大陸間の「コロンブス交換」とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(423)】
NPOのe-Educationの活動報告会に参加しました。偏差値が高く、英語能力抜群の大学生と社会人になって日が浅い若者たち数十人の集まりは、東南アジアの開発途上国の貧しい若者たちの教育環境を改善しようという熱気に包まれていました。近年、米国の大学生の人気就職先ランキングの上位にNPOが入ってきていますが、日本でも同じことが起こりつつあるなとの実感が得られました。因みに、本日の歩数は13,129でした。
閑話休題、『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』(チャールズ・C・マン著、布施由紀子訳、紀伊國屋書店)は、厚さが4.2cmある単行本ですが、ジャーナリストらしい語り口に乗せられて、一気に読み通してしまいました。
アメリカ大陸とユーラシア大陸、アフリカ大陸の間で、生物や文化の交換(いわゆる「コロンブス交換」)が盛んに行われた結果、各地の生態系が変容を遂げ、経済面でも変化が起きて、今日に繋がるグローバリゼーションが大きく進んだ過程がダイナミックに描き出されているからです。
「大西洋を渡った船は、人間だけでなく――あるときは意図的に、あるときは偶然に――植物や動物も運んでいった。コロンブスの大陸到達後は、何十億年もの昔からたがいに離れていた生態系が突如として出会い、入り混じることになった。クロスビーはこの過程を『コロンブス交換』と名づけ」たのです。こうした交換によって、トウモロコシがアフリカに、サツマイモが東アジアに、ウマとリンゴがアメリカ大陸に、そしてルバーブ(ショクヨウダイオウ)とユーカリノキがヨーロッパに伝えられたというのです。
「(マラリアのせいで)人口の多い安定した植民地を建設することはできなかったので、ヨーロッパ人は、アジェモール、ジョンソン、ロビンソンが『収奪専用国』と名づけたものを作り上げた。象徴的な例は、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』に描かれたあの忌まわしいベルギー領コンゴだ。あの国では高い襟の服を着込んだ少数のヨーロッパ人が、鎖につながれた裸の奴隷――『病と飢えの影』――をおおぜい使って、内陸部で採った象牙を港へ運び出すための鉄道を建設させた」。
「アダム・スミスは奴隷制をたいそうきらっていて、自分が嫌悪を感じるこの制度が道義に反するばかりではなく、経済的にもばかげていることを証明しようとしていた。・・・アメリカ大陸の奴隷制は(アフリカやローマのそれとは)ちがう。たいていの場合が終身刑に処せられたようなものだった。自由を勝ち取れる望みもなく、生涯にわたり、厳しい環境で苛酷な労働を強いられる。ここには、スミスが示したような、効率的な労働を妨げる要因がかつてないほどにはっきり表れていた」。奴隷制を嫌悪したというアダム・スミスを好きになってしまいました。
「ジャガイモとトウモロコシが伝播する前、そして効率的な施肥方法が見つかる以前、ヨーロッパの生活水準は、今日のカメルーンやバングラデシュとほぼ等しく、ボリビアやジンバブエよりも低かった。ヨーロッパの平均的な農民が一日に口にしていた食べ物の量は、アフリカやアマゾンの狩猟採集社会の人々よりも少なかった。改良品種の作物を施肥効果のきわめて高い肥料を使って栽培する工業的単一栽培は、何十億人もの人々を――最初はヨーロッパの、それから世界各地の人々を――マルサスの罠から救い出した」。マルサスは、どんなに努力をして食料供給量を増やしたところで、結局は供給量の増加が追いつかなくなるほどの人口増加を招いてしまうだけだと述べました。この状態が「マルサスの罠」と呼ばれるものです。
「コンキスタドール(スペインのアメリカ大陸征服者)は、みずからの支配の正当性をゆるぎないものにするため、征服した人々の支配者階級の女性を妻や妾にした。コルテスとピサロも、そうした前例を作った先駆者に数えられる。彼らの子は、異なるふたつの文化を受け継ぐひとつの世代を形成し、新しい植民地でもっとも有力な住民となった」。
「奴隷貿易が続けられた数世紀のあいだ、逃亡は頻繁に起こり、しばしば成功した。逃げたアフリカ人やその子孫は先住民集団に混じり、南米の広範な地域に散らばって暮らしていた。多くはアフロ・インディオの政体――極小国家――を形成し、中にはスペインから事実上の独立を勝ち取ったものもあった。彼らは自由を求めて粘り強く戦い、米国の独立宣言の何十年、いや何百年も前に、アメリカ大陸に広大な自由地域を作りあげていたのである」。この歴史的事実を知り、大いに勇気づけられました。
本書は、「コロンブス交換」、とりわけ奴隷貿易について学ぶのに、恰好の歴史書です。