榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

謡曲『鉢木』好きには堪らない一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(429)】

【amazon 『駒とめて袖うちはらふ』 カスタマーレビュー 2016年6月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(429)

散策中に、大輪の赤い花、黄色い花を艶やかに咲かせているハイビスカスを見かけました。ハイビスカスを見ると、沖縄の離島・小浜島のサンゴ礁で熱帯魚たちと一緒に泳いだことを懐かしく思い出します。因みに、本日の歩数は10,501でした。

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閑話休題、『駒とめて袖うちはらふ――謡曲「鉢木」考』(森延哉著、文芸社)は、私の一番好きな謡曲『鉢木(はちのき)』の誕生、変容、転生の軌跡を丹念に辿っています。

『鉢木』のテーマは、北条時頼の廻国伝説が下敷きになっています。「時頼は伝説の多い人物である。その一つが、『時頼廻国伝説』である。時頼は、康元元(1256)年、30歳の若さで執権職を北条長時に譲り(嫡子時宗が幼少であったため)、鎌倉の最明寺において出家するが、その後も公的な制度上の資格を持たないまま、政治の実験を握り、後見政治を行なった。・・・出家後も多忙な政治生活を送ったといわれる時頼が、変装して諸国を巡回し、地方の実情を探り、人民の困窮を救ったという『廻国伝説』を、信じがたいと考える研究者は少なくないが、時頼の善政が事実としてあり、それがこのような廻国伝説を生んだと思われる」。

鎌倉幕府の正式記録とされる『吾妻鏡』には時頼の廻国に関する記述はありませんが、「『増鏡』には、時頼が姿を変えて諸国を巡り、『国々のありさま、人の愁へ』などを、くわしく見聞しては、『ながく愁へなきやうに』はからったと述べているだけだが、『太平記』では、さらに具体的である」。

『鉢木』の時代背景はどのようなものだったのでしょうか。「大きな時代の変動の中で、『鉢木』の佐野源左衛門のように、殊勝な心がけの御家人は少なくなっていた。その意味で、佐野源左衛門常世は、御家人の理想像といってよい。しかし、佐野源左衛門常世は、実在の人物ではなかった」。

『鉢木』を広めたのはどういう人たちだったのでしょうか。「『鉢木』は、群馬県安中市板鼻の時衆道場・聞名寺の『管理』する物語だったという。・・・時衆教団では、善光寺詣でを遊行の大切な事業としていたので、善光寺道に時衆道場が栄えた。その中心が板鼻道場であった。・・・『鉢木』が、時衆板鼻道場の管理する物語だったとしても、謡曲『鉢木』として完成される以前のテキストは見つかっていない」。

「謡曲『鉢木』は、当時の『御家人の生活の困窮』と武士階級しかわからない『武士の意地』が話の中心にあり、物語の形成、発展の陰に武士の存在が大きかったようである」。時衆とその後援者には武士が多かったというのです。「一つの想像だが、『鉢木』が、のちに『語りもの』として語られるようになった時、聴き手よりむしろ(武士出身の)語り手が、物語の内容に共感して熱心に語る場面も多かったのではないか」。

謡曲『鉢木』の作者は誰なのでしょうか。「謡曲『鉢木』の作者は世阿弥という説もあるが、定かではない。しかし、時衆が管理していた物語が、能楽の世界で完成されていく道筋だけでも、少し見えてきたように思う」。

「『鉢木』の初演がいつなのか、どこでどうして演じられたかは、よくわからない」。こういう正直さは本書の特徴となっており、好感が持てます。

佐野源左衛門常世は零落して苦境にありながら、武士としての誇りを失わず、主君への忠誠心もなくしていない。この毅然とした姿勢が私の心を震わせるのです。

『鉢木』好きには堪らない一冊です。