榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

マルクス経済学者・宇野弘蔵はマルクスをどう捉えていたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(465)】

【amazon 『社会科学としての経済学』 カスタマーレビュー 2016年7月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(465)

散策中に、「ペンダントみたいに綺麗な昆虫がいる」と、女房がアカスジキンカメムシを見つけました。我が家にやってきたクサギカメムシの地味さとはえらい違いです。ショウリョウバッタを見かけました。「何の花かしら」と言いつつ女房が近づいたら、何とキノコではありませんか。別の場所では、ぎゅうぎゅう詰めに生えているキノコを見つけました。因みに、本日の歩数は10,657でした。

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閑話休題、この世に出現した社会主義国、共産主義国は、その理想にも拘わらず、その国民を幸せにすることができなかったという意味で失敗であった、と私は考えています。マルクス経済学者の宇野弘蔵がカール・マルクスやマルクス経済学をどう捉えていたのか気にかかっていたので、今回、『社会科学としての経済学』(宇野弘蔵著、ちくま学芸文庫)を手にしました。

「1843年パリに移ったマルクスは、その翌年春からアダム・スミス、リカード、セイ、シスモンディ、ミル等の経済学の研究を始めている。そしてたちまちのうちに経済学の核心をつかんでいる。それは今日残っている彼の『経済学・哲学に関する手稿』によってもうかがうことができるのであるが、私の理解するところでは、ヘーゲルに対する彼の理解がかくの如きことを容易にしたものと考えられるのである。しかしマルクスの経済学の体系的展開は、この44年に始まる経済学の研究から15年を経た59年になって初めて、『経済学批判』としてその一部が公刊されることになった。そしてそれがさらに完成された形で『資本論』としてあらわれたのは、周知のようにそれから8年後の67年であった。それも第1巻に留まるのであって、第2巻、第3巻は後にエンゲルスによって発刊されたのである。・・・それは全く従来の経済学の発展の全歴史を批判的に摂取したものであるが、その枢軸をなすものは経済学を社会科学の基本的な学問として確立することにあった。それは単に社会諸科学中の一分科としての経済学でなく、他の法律、政治等々の社会諸科学と内面的に関連した学問としての経済学を確立することにあった。それと同時にまた『資本論』に展開されたその方法は、一般に社会科学の方法を、科学的に基礎づけるものにほかならなかった。ただ単にいわゆる唯物弁証法として主張されるというのでなく、実際にこれを展開して見せているのである」。著者がマルクスを高く評価していることが分かります。

「マルクスの唯物史観は、彼自らもいっているように、その経済学研究の『導きの糸』となったのである」。

一方、著者のマックス・ウェーバー評価はいかなるものでしょうか。「私はウェーバーの経済史的研究に少なからぬ敬意を表するものではあるが、しかし彼が『資本論』を直接問題にしないでその方法を批判しようとする態度には何としても賛成しえない。マルクスの唯物史観は単に世界観としてならば、なんびとも自由に批評してよいかも知れないが、しかしこれを『導きの糸』として研究してえられた経済学の原理を学問的に批判することなくして、唯物史観を批判するのは、少なくとも学問をやる者の態度とはいえない。唯物史観の是非は科学的にはその学問上の成果によってなされなければならない」。