同僚の武士が語る、男と女を巡る生々しい6つの物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(470)】
黄一色の広大なヒマワリ畑の奥に風車が見えます。ヒマワリ畑の迷路から抜け出るのは思った以上に大変でしたが、それでも人生の迷路ほどではありませんでした(笑)。女房が四阿(あずまや)の四隅にスズメが巣を作っているのを見つけました。ツバメの巣は見つけ易いですが、スズメの巣を見たのは初めてです。因みに、本日の歩数は10,578でした。
閑話休題、短篇集『つまをめとらば』(青山文平著、文藝春秋)を読み終わって、これまであまり経験したことのない感慨に襲われました。お城や主家勤めの同僚の武士たちから、それぞれが経験した男と女を巡る生々しい物語を聞かされたような気分になったからです。
「ひともうらやむ」に登場する世津は、このように描写されています。「世津はとにかく、美しい。もう、どうにも美しい。ただ美しいのではなく、男という生き物のいちばん柔らかい部分をえぐり出して、ざらりと触ってくるほどに美しい」。しかし、結婚後1年近く経って、世津が突然離縁を申し出たことから、思わぬ事態を招いてしまいます。
「つゆかせぎ」の朋の美しさは、「獰猛とも思えるほどの美しさ」と形容されています。女性の美しさをこのように表現した作品を私は知りません。「女という生き物は美醜に関わりなく、いや、なにものにも関わりなく、天から自信を付与されているのではないか」。「朋は見た目に美しいだけでなく、すこぶる肌も合って、たしかに私は朋に搦め捕られたのだろうが、それを僥倖と思うことができた」。
「ひと夏」のタネは農民の18歳になる娘です。「庭先には、いちばん美しい季節を生きる女の獰猛な匂いが、夏草の厚い呼吸を押し退けてとどまり、啓吾は、たしかにあばずれだ、と声に出して、その残り香を振り払おうとした。けれど、匂いはしっかりと若者の鼻腔に棲み着いて」しまいます。
「逢対」を彩る24歳の里は町人で煮売屋の女主です。「理(わり)ない仲になると、女の顔は変わる。いや、変わって見えるようになる。よく見えるようになる女もいれば、その逆になる女もいる。里は、よく変わったほうだった」。
「つまをめとらば」は、省吾の屋敷に佐世という20歳の娘が下女として奉公に来たことから始まります。「なにしろ佐世は、罪のない童女のような顔を、罪ではちきれそうな躰の上に載せていたからである。首の上と下との落差はあまりに大きく、いきなり目の当たりにすることになった省吾は、思わず自分が視姦をしているような気にさせられ、知らずに目を逸らしたほどだった」。
著者の、「この世には、こんな人たちがいるし、こんな場処もある。この世は私が想ってきたよりも遥かに妖しく、ふくよからしい」という言い回しに思わず頷いてしまう、粒選りの短篇が6つ収められています。