23ページにまとめられた高峰秀子の写真+文章の半自叙伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(486)】
夜の叢で、今シーズン初めて、秋の虫の音を耳にしました。いつの間にか、次の季節が忍び寄っているのですね。散策中に、葉の裏に産み付けられている白い卵を見つけました。ガかカメムシの仲間の卵と思われます。地面と紛らわしい土色の若いアズマヒキガエルに出会いました。木にぽっかりと空いた洞を見かけました。
閑話休題、『瓶の中』(高峰秀子著、河出書房新社)は、女優だけでなくエッセイストとしても定評のある高峰秀子のエッセイ集です。
「瓶の中」というエッセイは、高峰自身の手になる半生の自叙伝の観を呈しています。
「私は、はじめから、女優という職業を好きでも嫌いでもなく、ただ生活のために与えられた天職と思い、自分を『キャメラの前で泣いたり笑ったりする職人』なのだ、と割り切っていたが、同じ仕事でも、やりがいのあるよい作品に出演するほうがしあわせに決まっている。私のような怠けものが、木下(恵介)、成瀬(巳喜男)、という優れた監督にめぐり会えた、ということは女優としての私には最大のしあわせだった、と今でも感謝をしている」。
「出来ることなら、ものごとに対して悲観的に考えず、苦しいことは自分のコヤシとして生かし、いつもアッケラカンと明るくありたいと思っている。ということは、ほんとうの私はジメジメと陰気でケチで猜疑心の強いゴーツクバリな女であることを、私自身が誰よりも知っているからである」。
「転んでもソンしない私が選んだ松山善三という人は、私のもっていないものを全部もっている人であった」。
「私は無学のせいかコンプレックスもまた人一倍で、それが嵩じてひどい人間嫌いであった。が、唯一の勉強の場である学校へゆきはぐれてからは、人の話を聞く、つまり耳学問しか知識を得られないと考えて、ともすれば尻ごみをする自分にムチを打ちながら、意識して人に会うように努力した」。
「松山善三は結婚後、しゃにむに勉強をした。勉強をしすぎて病気になってひっくりかえって私を心配させたが、彼の脚本が映画化され、芝居になり、放送され、テレビで上映されはじめるのに3年とはかからなかった。・・・夫婦で作った甘っちょろい映画と思われたくない一心で、二人は目方がへるほど頑張った。仕事をする人間にとって、結婚などをハンディにものを言われるのは恥だからである」。
「子供もなく、特別の趣味もない私たち夫婦にとって、楽しみといえばおいしいものを食べることと、旅行をするくらいのことだろうか」。
「なんのかんのとゴタクを並べているうちに、老後はすぐ目の前に迫っていた」。
「『一人で生まれて、もらわれて、演技して、愛して、一人で死ぬ・・・』私の半生のドラマはあまりにも中身が薄くて粗末で、小さな瓶に入ってしまうほどしかない。この本のタイトルを『瓶の中』としたのも、まず、そんなところでもある」。
「瓶の中」どころか、高峰は自分で選択した素晴らしい生き方を貫いたのです。
斎藤明美の解説中の、「高峰は『瓶の中』が好きだった。3百余本の自作の中で『浮雲』を最も愛したように」という一節が、心に残ります。