日本には、昔から貧困ビジネス、老人虐待、ブラック企業が存在した・・・【情熱的読書人間のないしょ話(666)】
散策中に、白い花を咲かせているニホンズイセンを見かけました。黄色い花のキズイセンも見つかりました。ローズマリーが薄紫色の小さな花をたくさん付けています。因みに、本日の歩数は10,484でした。
閑話休題、『本当はひどかった昔の日本――古典文学で知るしたたかな日本人』(大塚ひかり著、新潮文庫)は、驚くべき内容がてんこ盛りです。
「捨て子、育児放棄満載の社会」、「昔もあった電車内ベビーカー的論争」、「本当はもろかった昔の『家族』」、「マタハラと呼ぶにはあまりに残酷な『妊婦いじめ』」、「毒親だらけの近松もの」、「昔もいた? 角田美代子」、「いにしえのストーカー殺人に学ぶ傾向と対策」、「若者はいつだって残酷」、「心の病は近代文明病にあらず」、「動物虐待は日常茶飯」、「究極の見た目社会だった平安中期」と、酷い事例のオン・パレードです。
とりわけ、私が衝撃を受けたのは、「虐待天国江戸時代――伝統的『貧困ビジネス』の実態」です。「子だくさんで貧しくて育てられずに捨てる親と、子どもを働かせて生活の足しにしたい親がいて、しかし養子を迎えるには金がいるため、貧しくて子どもの少ない親は、養育料の出る捨て子を当てにしたらしいのです。いわば『捨て子ビジネス』ともいうべきこうした生業は、古典を読むと多々目につき、『雲萍雑志』という1843年に刊行された随筆集には、捨て子をもらいながら飢えさせて育てず、養育費だけを貪っていた老婆が出てきます」。
「昔もあった介護地獄――舌切り雀の真実」も残酷な事例です。近年、高齢者への虐待が増えているが、「しかしこれらは今始まったことではなく、古典でも、老人介護は大きな問題でした。・・・『宇治拾遺物語』(1221年以降)にある、有名な『舌切り雀』の原話などは、一種の老人虐待の話じゃないかとすら思います。童話では優しいお爺さんと意地悪なお婆さんの話でしたが、原話は『六十ばかりの女』と『隣の女』の話で、二人とも子や孫と同居しており、揃って小馬鹿にされているというか、ないがしろにされているのです」。
「昔もあったブラック企業――リアル奴隷の悲惨な日々」で取り上げられている人身売買の酷い実態には目を背けたくなりますが、善玉として登場する豊臣秀吉にはびっくりしました。「南蛮人の日本人奴隷売買に関しては、豊臣秀吉が『激昂して』キリスト教教会関係者に訴えています。『汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行ったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう』(『フロイス日本史』)。そして秀吉は1587年、海外のみならず、国内の『人売買』を広く禁じます」。
「昔から、金の世の中」では、日本が昔から「金の世の中」だったと喝破しています。「実は、日本が『金の世の中』だったのは、なにも貨幣経済が発達した江戸時代に始まったことではない、ということが古典を読むと分かります。・・・昔の日本人は『心』を大切にしていた、なんて嘘もいいとこ。目に見える物質を重んじていたんです。『金・米(食い物)・女』という、恥ずかしいほど俗で物質的な欲望を『満たしてあげる』と言われてはじめて『仏教、信じてみるかな』と思うのが、平安初期から末期にかけての日本人でした」。
私たちは、歴史に学ぶ必要がありますね。