榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

過去か現在か、夢か現か幻か――老人の揺らぎの世界へようこそ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(746)】

【amazon 『ゆらぐ玉の緒』 カスタマーレビュー 2017年5月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(746)

千葉・野田の清水公園では、イロハモミジが若緑色に輝いています。さまざまなツツジが咲き競っています。プレゼントしたデジカメで女房が写した写真が、私のものよりよく撮れている場合は、ちゃっかり、それを使わせてもらうことにしています(笑)。因みに、本日の歩数は14,782でした。

閑話休題、短篇集『ゆらぐ玉の緒』(古井由吉著、新潮社)は、若い読者にはお薦めできません。80歳を迎えんとする老人によって、季節の折々に、過去のことなのか現在のことなのか、自分のことなのか他人のことなのか、夢なのか現なのか幻なのか――境界がはっきりしない事柄が綴られていくからです。

収載されている「ゆらぐ玉の緒」は、こう始まります。「細い雨が薄明りを漂わせて音も立てずに降る」。

「棺桶の中に寝かされているようでもあり、宙に安穏に浮いているようでもあり」。

「墓参りならいずれ旅である。私自身は死んだら散骨にするように家の者に言い置いてある。墓などを遺すのは、生きているうちから、うっとうしい」。

「後々までときたま鼻の奥に、桑のものか、桑を喰む蚕のものか、青い匂いがふくらむ。女人の肌から立つものに通じるなと思ったこともある」。

「夕暮れにひとりきりになって立つ女の子の、その背後に男の子が忍び足でまわり、いきなりスカートの下に手を入れて、下ばきを膝までおろしてしまう。女の子はそれにしてはたじろがず、なにか遠くへ笑っているような顔を振り向けてから、腰をまるく屈めて下ばきをなおし、何も知らないくせにと言わんばかりの大人の背を見せて立ち去る」。

「四十何年も同じ棟に住みついて、その暮らしの維持のために生業に精を出してきたのに、老年に至って平常も平常の折りに、自分は何処にいるのだろう、と気の迷うことがあり、それがふっと我に、現在に返った心地に似る。老耄の萌しではあり、いっそめでたいことなのかもしれないが」。

「ひとしきり陽気の早さをこぼすようにしてから例によって同窓たちの消息をたずねあう。七十のなかばまではその間の逝去者がひとりふたりはいたものだが、八十の坂にかかる頃から、訃音も絶えている」。

「若い頃にやはり濃い霧の降る路上で、霧は炭火の匂いがするなと私がつぶやくと、いや、人肌の匂いだ、とたちどころに返した男のいたことを思い出した。とうに亡くなっている」。

「覚めている間はとかく目先の事に紛れ、時刻に追われ、月日の経つ速さに驚いて、これを暮らしと思っているが、じつは正体もなく眠っている間こそ、本人は所も知らず時も知らず自己(おのれ)も知らず、現在の内に住んでいるのではないか、と考えた。過去も未来も吸い寄せて淀ませる今現在に」。

この何とも言えない揺らぎの世界が心地よいのは、私の年齢のせいでしょうか。