未知・未踏の洞窟探検に血が騒ぐ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(795)】
散策中、オナガよと囁いた女房がそっと近づいていき、指差した先にオナガがいるではありませんか。おかげで、オナガの全体像を近距離から撮影するという願いを叶えることができました。巣から落ちてしまったスズメの雛を見つけました。このままでは命が危ういので、その家の人に事情を説明し、巣に戻してやってほしいと頼みました。アオスジアゲハをバッチリ、カメラに収めることができました――念願達成です! 橙色の花を付けたノウゼンカズラを見かけました。我が家のアメリカノウゼンカズラとよく似ていますが、ノウゼンカズラは花が大きく花筒がやや短めで、アメリカノウゼンカズラは花が小さく花筒が長いので、見分けることができます。因みに、本日の歩数は10,364でした。
閑話休題、『洞窟ばか――すきあらば、前人未到の洞窟探検』(吉田勝次著、扶桑社)には、国内外の未踏の洞窟に挑み続けている洞窟探検家の熱い思いが溢れ返っています。
「洞窟探検をしていれば、落石の直撃を受けることもあれば、道に迷うこともある。狭い通路で身動きが取れなくなったこともある。当たり前の話だが、洞窟内は常に暗いし、オレたちの体はいつも泥だらけだ」。
著者は、なぜ洞窟を探検するのでしょうか。「その答えは単純だ。洞窟には正真正銘の『未知』があり、その未知なる世界に『行ってみたい』『見てみたい』と猛烈に思うし、いざ未知の空間に到達できれば、途方もない『感動』を味わえる。腹の底から『ドキドキ』『ワクワク』できるからだ」。
「洞窟の奥に何があるのかはまったく予想ができず、絶対的な未知が広がっているのだ。そして、未知を既知に変える方法はただひとつ。自分が入口から洞窟内へ潜り込み、探検するしかない」。
「オレの人生のいちばんテッペンには『未踏の洞窟を探検したい!』という思いが常にブレることなく存在していて、霧穴のような未踏の洞窟探しは相変わらず続けていた。ターゲットは国内だけではなく、時間を見つけてはコツコツと海外にも遠征して、アメリカ、中国、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ラオス、オマーン、マダガスカル島などで新洞調査を行ってきた」。
「未知・未踏とは、自分にとっていいことも悪いこともひっくるめて、まさに無限の可能性とイコールなのである。だからこそ、未知や未踏を探求するのは面白いし、血が騒ぐのだ」。
沖縄の沖永良部島の銀水洞については、このように報告されています。「膨大な証明で照らした銀水洞の景観というのは、何度も入っているオレ自身でさえもはじめて見るもので、『やっぱり、ここはすげぇ・・・』とあらためて感動し、絶句してしまった」。
ラオスのタムナムディ(ン)洞は、こんなふうです。「オレたちはみな面食らうと同時に、テンションが一気に上がっていくのを感じた。サンプ(洞窟の奥にある泉)の奥は地元の人も入ったことがないはず。つまり、その先に広がっているのは、未踏の空間、人類初の空間だったのだ。『よし、行けるところまで探検しようぜ!』。オレは興奮しながら仲間たちに声をかけた」。
洞窟に入って、いったい何をしているのでしょうか。「オレたちが洞窟の中でやっていることは、大きく3つに分けられる。『探検』『測量』『撮影』だ」。
洞窟探検家として何を目指しているのでしょうか。「未踏の洞窟で水をたたえた巨大で美しい地底湖を発見できれば、それはそれで感動はするし、写真を人に見せれば『すごいですね』と興味を持ってもらえる。でも、そうした地底湖を見つけることが、オレの究極的な奥的ではない。なぜなら、その地底湖の奥にさらに通路がつながっているかもしれないし、進んでいった先でもっとすごい景色に出会えるかもしれないからだ。つまり、その地底湖がどれだけ巨大で美しくとも、通過点のひとつに過ぎないのである。さらに言えば、その奥でもっとすごい景色に出会えたとしても、それもゴールではない。その場所に自分がはじめて到達したのであれば、めちゃくちゃ興奮するし、感動もすると思うのだが、やはり通過点のひとつとして『帰りに写真を撮ろうか』と思うぐらいで、さらに奥を目指して進んでいく。洞窟探検は延々とその繰り返しなのである。それゆえ、オレが目指しているものを敢えて言葉にすれば、『まだ見ぬ、その先の風景』ということになるかもしれない」。
幼い頃から探検に憧れながら遂に挑戦できなかった情けない私ですが、本書のおかげで探検気分を味わうことができました。