榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『万葉集』の山上憶良は、日本型知識人の源流だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(817)】

【amazon 『万葉集から古代を読みとく』 カスタマーレビュー 2017年7月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(817)

散策中に、ニイニイゼミよと囁いた女房が指差した先に、ニイニイゼミが止まっているではありませんか。私たちが子供の頃はよく見かけたニイニイゼミですが、この数十年間、見られなかっただけに、二人とも感激も一入です。その上、すぐ近くで、もう1匹、見つけました。コミスジを初めてカメラに収めることができました。キタキチョウもいます。因みに、本日の歩数は10,676でした。

閑話休題、『万葉集から古代を読みとく』(上野誠著、ちくま新書)からは、世に溢れている『万葉集』入門書とは違うタイプの本を著したいという意欲が伝わってきます。

著者は、「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子に及(し)かめやも」の歌で知られる山上憶良に狙いを定め、『万葉集』と当時の知識人の関係を考察するという独自の方法を採用しています。

「山上憶良は、無位無官から、その漢文の才によって見出され、遣唐使となって唐に渡り、最下級ではあるが、貴族となって地方官を歴任した人物である。時の皇太子、首皇子(聖武天皇)の侍講(家庭教師)ともなっているところから察すれば、その漢文における作文能力は、同時代において高い評価を受けていたものとみられる」。

「外来の知識を受信して、外国語を解さない人びとに発信することが、長く知識人に課せられた役割だったのである。そこに、『地位』と『名誉』と『富』の源泉もあったのである。・・・では、日本的な知性とは、どのようにして生まれるのであろうか。私は、『組み合わせ』と『ずらし』によって生まれるのではないか、と考える。憶良は、中国の『思子詩』すなわち子どもを思う文学を知り、自らの子どもに対する愛を日本語の歌で表現しようとした。それに、漢文の序を付けたのである。理の文体である漢文と、情の文体である和文とを融合することによって生まれるものこそ、憶良独自、日本独自の知性ということになる。・・・理は漢文で示し、情は万葉仮名の歌で示す。ゼロから作るのではなく、既存のものを組み合わせるのが日本型の知性である。『万葉集』が、日本精神の書であるなどというのは、いわれなき俗説、妄言である。もし、『万葉集』に、日本的な部分があるとすれば、私は、その組み合わせの味わいにあると考える」。

「日本型知性の特性のもう一つは、『ずらし』の工夫である。それは、原語の意味や原書の内容を意図的に『ずらす』ことで、独自のものを作ろうとする営為である。憶良は釈迦の言葉も、歪曲して使ったのであった。もし、インド仏教や、中国仏教に対して、日本仏教というものがあるとするならば、それは仏教経典の正しい解釈や正しい理解の継承から、はじまるものではない。逆に、誤解や歪曲からはじまるものである。むしろ、誤解や歪曲にこそ、独自性があると考えてよい。鎌倉仏教の祖師たちは、誤解や歪曲の天才だと私は思っている」。この「鎌倉仏教の祖師たちは、誤解や歪曲の天才」という指摘は、予て私も感じていたことを的確に表現してくれているので、嬉しくなりました。

「日本型の知識人は、いいかえれば、他文化と日本文化を結ぶ人たちなのであった。一方で、彼らが常に警戒したのは、安易な受け売りであった。つまり、受け入れる側の主体性を忘れることを、常に警戒していたのである。その警句こそ、『和魂漢才』といえよう。一般的には、大和魂を忘れずに、中国の先進文化や技術を受け入れることと考えられているが、そもそも『和魂』が認識されるのは『漢才』によるのであるから、むしろ、この言葉は、日本的な知性のありようを示す言葉と考えた方が、より実態に近いだろう」。

「和文の歌には、漢文の序が付いており、その序文と合わせて読むことによって、われわれは憶良の思考に触れることができる。そこにあるのは、意図的になされた誤解と歪曲の上に展開された、憶良独自の主張であった。では、その中心をなすものは何であったかといえば、一字一音で綴られた子どもへの思いを伝える歌なのであった。憶良こそ、日本文学史上はじめて、子どもへの愛を綴った歌びとなのである。けれども、それは中国詩の子どもの文学を手本として、はじめて可能になったのである。彼は、漢文で書かれた序を通じ、己の子への思いを自由に語る免罪符を得たのであった。そして、己の歌を通して、家族愛の大切さを国司として民衆に説いたのである。漢才があればこそ、大和魂は活かされるのだよ、という『源氏物語』の主張と、憶良の営為を、私は今、重ね合わせて見ている」。

「書物を通じて、中国の言語と文字、さらに広がって文化に触れて、己の思想を鍛える。時に、その教えを捩じ曲げて、自らの主張をなす。そういう日本型知識人の源流を、山上憶良など『万葉集』に見出すことができる」。8世紀前半に生きた憶良こそ、日本型知識人の源流・原型だというのです。

憶良の後輩に当たる、近代の日本型知識人たちが列挙されています。
●医学を学びにドイツに行きながら、ふとした出逢いから純愛を発見した軍医(森鴎外)。
●英文学を学びに英国に留学するも、引き籠りになってしまった教師。その体験を通じ、彼は己の内側を見つめようとした(夏目漱石)。
●遊里の粋に、日本美を再発見した西洋哲学者(九鬼周造)。
●西洋哲学を学ぶも、休日は観仏三昧の倫理学者。彼の文章は、奈良のすぐれた観仏案内記として、読みつがれている(和辻哲郎)。
「近代における新しい日本語の文体、文学、知性は、そういう人びとによって生み出されたのである。それこそが、日本的知性であり、日本型知識人の正体なのである。彼らは、独自の論理で『組み合わせ』と『ずらし』を行って、新しい知のかたちを作り、情感溢れる文章を綴っていったのである」。

知的好奇心を激しく揺さぶる一冊です。