旧約聖書の世界が、挿画と解説で生き生きと甦る得難い一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1120)】
カラタネオガタマの花冠が黄白色で基部が赤紫色の花がバナナのような匂いを漂わせています。桃色、黄色、茶色のハーモニーが美しいアルストロメリアの花が咲いています。さまざまな色合いのカルミア(アメリカシャクナゲ)が小さな傘のような花を付けています。変化に富んだサツキたちが咲き競っています。オダマキ、キンギョソウも頑張っています。因みに、本日の歩数は11,938でした。
閑話休題、『旧約聖書の世界』(谷口江里也編著、ギュスターヴ・ドレ挿画、未知谷)は、得難い一冊です。新約聖書に比べて知ることの少ない旧約聖書の世界が、ギュスターヴ・ドレの臨場感溢れる挿画と、谷口江里也の訳・解説との相乗効果によって生き生きと甦ってくるからです。
「旧約聖書は、神(ヤウエイ)によって天地が創造され、その最初の人間であるアダムとエバが楽園を追放され、その10代目の子孫のノアの時代に彼の一族(とごく一部の動物と鳥)を残して全ての命が死に絶えるという創世の物語から始まり、基本的には、そのノアの10代目の子孫であるアブラム(後にアブラハム)の一族と神との関係が書き記された書物です。アブラムの父のテラは、今からおよそ4千年ほど前に、人類最古の都市国家文明が生まれた場所の一つとされている中東の、チグリス河とユーフラテス河にはさまれた肥沃なメソポタミアの豊かな街ウルから、何故かアブラムたちを連れてカナンに向けて旅立ちました。つまり旧約聖書は、そこから、イエス・キリストがうまれる頃までの約2千年間の、アブラムを祖先とする一族と、その栄枯盛衰の物語が書かれているということになります」。
「そんな中東の一地域の流浪の民のものでしかなかった神の特徴や宗教としての基本的な構造は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教に受け継がれて、さらなる普遍性を獲得していきました」。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの共通の源なのです。
「ユダヤ教は旧約聖書を聖典とし、神に選ばれた民であるアブラハムやヤコブの子孫と神との契約としての律法に従った行いを重視します。キリスト教は、旧約聖書を踏まえつつも、イエスの弟子たちによる福音書を重視し、戒律ではなく、人間的な観点や愛の心などを重視して、より普遍性を備えた宗教となります。それに対しアッラーを唯一絶対の存在であるとするイスラム教は、キリスト教がイエスを神の子としていることを認めず、単に預言者の一人であるとし、アッラーの使徒であり預言者であるムハンマドの言葉を記したクルアーンもなかで、アダムやノアやアブラハムやモーセなどのことも、細かな人間描写を捨象した明解な善悪とともに語られます」。
本書を通読すれば旧約聖書の全体像が頭に入りますが、興味深いエピソード――神による天地創造(創世記)、アダムとエバの楽園追放(創世記)、大きな箱舟によるノアの洪水乗り切り(創世記)、バベルの塔の建設中止(創世記)、アブラムのカナンへの旅立ち(創世記)、不徳の街ソドムとゴモラの殲滅(創世記)、モーセの出エジプトと神から与えられた十戒(出エジプト記)、ヨシュアのカナン攻略(ヨシュア記)、ダビデのゴリアト退治とイスラエル統一王国樹立(サムエル記)、賢王ソロモンの国家運営(烈王記)、シェバの女王のソロモン訪問(烈王記)、その後のイスラエル滅亡など――に焦点を絞るという読み方も可能です。武力で、神から約束された地カナンを奪い取って王国にまでなったイスラエルですが、やがて分裂し、滅び、他国に占領され、あるいは捕われて、ユダヤ人は離散してしまいます。そして、この離散は、第二次世界大戦後、遠い記憶を呼び覚ますかのように突如イスラエルが建国されるまで続いたのです。
「イスラエルの民にとっては神から約束された土地であっても、カナン人たちから見れば、もともとそこに住み街を築いて平和に暮らしていたのに、大軍にいきなり攻め込まれたわけですから、考えてみれば、まったく理不尽極まる話です」。これはヨシュアのカナン攻略に対する著者のコメントですが、第二次世界大戦後のイスラエル建国に対しても同じことが言えるでしょう。