君は、19世紀フランスにナダールという写真家がいたことを知っているか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1823)】
ミツバツツジが桃色の花、トキワマンサクが白い花、ベニバナトキワマンサクが赤紫色の花を咲かせています。ライラック(リラ)の桃色の花が芳香を放っています。ヤマブキが黄色い花、シロヤマブキが白い花を付けています。我が家では、薄青色のミヤコワスレが咲き始めました。
閑話休題、池澤夏樹の書評集『いつだって読むのは目の前の一冊なのだ』(池澤夏樹著、作品社)に唆されて、『写真家ナダール――空から地下まで十九世紀パリを活写した鬼才』(小倉孝誠著、中央公論新社)を手にしました。
ナダール(1820~1910年)、本名フェリックス・トゥルナションは、19世紀フランスのボヘミアン的作家、ジャーナリスト、風刺画家、写真家、気球冒険家という多彩な顔を持っているが、とりわけ肖像写真家として知られています。
同時代の文学者のアレクサンドル・デュマ、ジョルジュ・サンド、シャルル・ボードレール、アレクサンドル・デュマ・フィス、ジュール:ヴェルヌ、エミール・ゾラ、ヴィクトル・ユゴー、画家のウジェーヌ・ドラクロワ、ジャン・フランソワ・ミレー、ギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネ、ギュスターヴ・ドレ、音楽家のジョアキーノ・ロッシーニ、ジュゼッペ・ヴェルディ、舞台女優のサラ・ベルナールなどの肖像写真が収録されています。「ナダールの写真では、人物のあふれるような個性が際立ち、生命感が充ちていた」。
ドレとユゴーの死直後の写真も収められています。「撮られているのが死者であれ存命の者であれ、礼拝的価値へと観者を促すような独特の悲哀を具えている」。
「ナダールはartという語が孕む両義性を意識しつつ、写真を技術から芸術の次元へと巧みに横滑りさせている。技術なら誰でも学べるが、芸術は感覚や直観に由来するところが多大であって、それは普通に学べるものではない。写真術において必要な『光の感覚』。光の効果の適切な把握、モデルへの共感、そして何よりも『内面の類似』という心理的な次元を創造できる芸術的能力――それこそが真の写真家に要請される資質だとナダールは言明したのである。ナダールという筆名はナダール以上のものであり、彼のそれまでの経歴と努力と成功、要するに彼のアイデンティティーを保証する」。
なお、ナダールはオノレ・ド・バルザックの諷刺画は描いているが、肖像写真は撮っていません。バルザックの有名な銀板写真は、1842年にビッソンが撮影したものです。
個人的に興味深く感じたのは、息子のポール・ナダールが撮影した27歳のグレフュール伯爵夫人(1860~1952年)の肖像写真です。「パリ社交界の花形女性で、芸術と科学の庇護者だった。プルーストの小説『失われた時を求めて』に登場するゲルマント公爵夫人のモデル」だからです。大きな目が印象的な美形です。