俳優・香川照之は、なぜ46歳で歌舞伎役者になったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1134)】
散策中に、大量の樹液を出しているソメイヨシノを見つけました。珍しいシマサルスベリが見つかりました。葉先がサルスベリは丸みを帯びるのに対し、シマサルスベリは尖っています。クリが薄黄色の雄花をたくさん付けています。ケムリノキ(スモークツリー)の雌木の花が散った後、伸びた花柄が煙のように見えます。ホオズキが白い花と緑色の実を付けています。ナスが紫色の花と実を付けています。エダマメが実を付け始めています。トウモロコシがススキの穂のような雄花を咲かせています。ホウキギ(ホウキグサ、コキア)の茎葉が青々としています。因みに、本日の歩数は11,787でした。
閑話休題、私は、香川照之という個性的な俳優が好きです。その香川が、46歳で歌舞伎役者になるという話を聞いた時、なぜなんだろうと疑問を抱きました。『市川中車――46歳の新参者』(香川照之著、講談社)が、この疑問に答えてくれました。
「20年ほどのキャリアを経て、私が映像の世界で何らかの成功を収めているとするならば、自分はそのまま安穏とした場所にいて息子だけを新たな苦労の道に入れていいのか。仮に、歌舞伎の稽古から息子が泣きながら帰ってきたときに、のうのうと生きている自分がそれを棚に上げて『そんなことでどうする』と叱責できるのか。自らは安全な場に身を置いて、そこからツバを飛ばしているのは男のすることか。そんなことをするために、私は生まれてきたのか。辛い道と辛くない道があったなら、辛い道を行け。私が映像の世界で掴んだ真実でもある」。
「父(三代目市川猿之助)と会うようになってから、猿之助の名前をどうするのかと話したことがある。何の気なしに自分が継ぐべきものなのかと尋ねたら、もちろんきっぱりと否定された。歌舞伎と縁のなかった当時は、そういうものなのかと思うと同時に、それでいいのかともおぼろげに感じずにはいられなかった。やがて従兄弟の亀治郎さんが父の申し出を快諾し、猿之助の芸と精神を継承すべく四代目を襲名することになった。彼の力量をもってすれば、誰もが納得するところだろう」。香川は正直な人間だと、つくづく思います。
「(歌舞伎のきつい稽古は)何十年もかけて鍛錬を積む人たちの世界に、何も知らない者が入ってしまったしわ寄せの、当然の帰結だった。五臓六腑をちりちりと萎縮させ、身をすくませながら生きねばならないのは必然のことだった」。
「映像の俳優としては、現場に入るときには準備が万端にできていて、いかようにも動ける、というレベルまで到達している自負はあった。が、歌舞伎の世界ではそれを以てしても全く通用しない。何より私には歌舞伎の基礎がないのだ。ああ、自分にはマイナスの要素しかない。稽古を始めてからは、そんなふうに嘆く時間とて惜しかった」。
市川海老蔵はついて、こう語っています。「あくまで素直な子供のような人なのだが、伝統のど真ん中にいる市川宗家の海老蔵さんこそは、伝統と革新というテーマに真剣に取り組もうとされている」。
四代目市川猿之助は、こう評されています。「従兄弟である猿之助さんは、非常に頭がよく、本当に何でも知っている。江戸時代の人かと思うほど歌舞伎への造詣も深い。喜熨斗の家の歴史も全部把握していて、私も彼に家系図を書いてもらい、この家のことを随分と教えてもらった。頭がよすぎる人の常として、猿之助さんは孤高の人でもある」。
著者が語る人生観には興味深いものがあります。「何億、何十億という精子が一個の卵子をめがけて競争し、勝った結晶があなたという存在なのだ。多数の死んだ精子を尻目にあなたが悠々と生まれてくる意味は何なのか。単に楽しむためではない。意味が、責任が、やるべきことがあるのだ」。「人間は皆、死に向かって生きている。その死にゆく自らの限られた時間を、『演技』をしては生きたくはない。そんな時間はない。『この時間はよかった』という本質的な時を一秒でも増やすことが生きるということであり、私と関わった人にもそういう時を感じてもらいたい」。「シンプルに、真剣に、正しく生きればいい。そうすれば、人はもっと優しくなれる。そしてその日から、笑って暮らせるはずである」。
著者の芝居観が述べられています。「台本の中に書かれた文字を演じるだけでなく、そこに本心というプラスアルファを全身全霊で入れる。通り一遍のものではなく、そこから剥がれ落ちる何かが、観た人の人生に返ってくるようなものにしなければならない」。
「46歳で、歌舞伎界という長年にわたる恐ろしいほどの研鑽が必要な世界に素人として入ってしまった私は、24時間どころか一日に48時間を歌舞伎の稽古に割いても子役にすら追いつかないだろう。先を見れば、絶望という淵と恥辱という岩壁だけが見渡せる世にも厳しい眺望である。この1年間、私は映像の仕事の合間に本当に寸暇を惜しんで稽古をしてきた。それは歌舞伎俳優としては、幼稚園生が繰り返す稽古に過ぎないのかもしれないが、自分なりに時間を割いてきた。やらねばならない。歌舞伎は私の家業なのだ。それは『ごっこ』を超えた挑戦だ。どんな内容であれ、歌舞伎の舞台に立つ一秒一秒が私のリアルな人生である」。著者の「歌舞伎=家業」意識の強さには驚かされます。