本書を読んで、橋田壽賀子のイメージががらりと変わりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1157)】
ハルシャギク(ジャノメソウ、ジャノメギク)の花の黄色と濃赤褐色のコントラストが目を惹きます。ホタルブクロが釣り鐘状の白い花を付けています。ゲンペイカズラは、赤色の花と白色の萼の組み合わせが目立ちます。あちこちで、さまざまな色合いのユリが咲き競っています。
閑話休題、『恨みっこなしの老後』(橋田壽賀子著、新潮社)を読んで、橋田壽賀子のイメージががらりと変わりました。こんなに共感できる、好感の持てる人とは、夢にも思いませんでした。
著者には、脚本家として長らく芽の出ない時代がありました。「あせりを全く不要なものとは思いません。あせりは、何かに情熱を持っているという証拠でもあるからです。ただ、ヤケになったり、状況を呪ったりしていると自滅します。そのあせりのエネルギーが将来につながるように、自分でうまく持って行かなくてはいけない。そのためには、『なぜ不遇な現状があるのか』という冷静な分析が必要になるでしょうし、外的要因ではなく、自分に原因があるのではないかという深い内省も必要になる。私はこの苦しい時代に、本をたくさん読み、書きたいものを書きまくりました。自分の能力に疑問を持ち、実力をつけたいと思ったからです。・・・仕事を依頼してもらえるようになったとき、この時期の蓄積が役に立ったことは言うまでもありません。何かにあせっている人がいたら、私は言ってあげたい。あなたは今、人生で非常に大事な、自分を大きく羽ばたかせられるかもしれない局面に来ているのだと」。
著者は、幼い時から自分は美人じゃないという自覚を持っていました。「美醜によって女の人生にはずいぶんと差があり、自分はすごくハンデを負っているんだと、子ども心に刻み付けられました。成人するまで、美人でないということに、傷ついてばかりいました。・・・(女学生の頃、男子生徒から手紙をもらったり、声をかけたりする)機会は皆無で、自分の魅力のなさを思い知らされるばかりでした。・・・でも、『絶対に男の人にもてない』とわかってからは、気が楽になりました。・・・一生独身で、男と同じように生きると決めたのも、この頃でした。だから、脇道にそれず、仕事をしてこられたのです。・・・仕事柄、この世のものとは思えないほど美しい女優さんに会うこともあります。彼女たちは美しさばかりもてはやされますが、実際はそれだけを売り物にしていたら、とても生き残れない厳しい世界。容姿に頼るおそろしさを知り、さまざまな誘惑に負けない聡明さを持ち合わせているからこそ、長く活躍できるのでしょう。・・・(若い女性は)表面的な美しさに磨きをかけるだけでなく、もっと自分の内面を見つめることに時間を割かないといけません。本当の美しさは容姿だけでは完成しないからです。結婚したときに、美人でもない(4歳年上の)私を選んでくれたのは、夫が私の人間性を見込んでくれたのだろうと、うれしかったものです」。
「(脚本を書くことと家事の両立は大変でしたが)独身で、時間があり余っていたときからすると、格段の集中力で撮り組んだので、良い作品が書けたのだと思います」。時間がない時こそ、集中力がつくというのです。
「宗教によってさまざまな考えがあるのでしょうが、私は『あの世』は信じていません。ですから、あの世で会いたい人もいない。・・・幽霊も信じていません。見たことないですから。・・・とにかく92年過ごしてきた『この世』だけでもうたくさん。『あの世』の心配までしていられますか。恋愛はそれほどしませんでしたが、そのほかのことはやり尽くしました」。
「死そのものは恐くない。私の死のイメージは、眠っているようなもの。目を閉じていて、何も考えないし、聞こえないし、見えない。頭のなかは『無』ですし、それすら感じない。子どもならともかく、大人で『眠り』を恐がる人はいませんよね。こんな『死』のイメージなら、恐くないんじゃないでしょうか」。橋田の死に対する考え方は、私の考え方そのものです。
「向田邦子さんの書く台詞はすばらしかった。彼女は天才でした。亡くなったときは、しばらく鬱状態になるほどショックでした。山田太一さん、倉本聰さんの脚本も文学的。私の脚本はあくまで俗っぽい。私のは、自分の言いたいことを登場人物の口を借りて言ってもらう、そんな荒っぽい脚本。・・・他の脚本家が良い仕事をすれば、同じ脚本家として悔しいと思うには当然。でも、私はそれを刺激にして、自分ももっと良いものを書こうという励みにしました」。優れた同業者に対する著者の率直な態度は好感が持てます。
「私は長い間、無我夢中で働いてきました。今はとにかく空っぽになりたい。誰かによく思われたい。微笑みたくないのに微笑まなきゃならない。しゃべりたくもないのにしゃべらなきゃならない。書きたくないのに、これをやらないと次の仕事がもらえないかもしれない。仕事しないと、お金が足りなくなるかもしれない。やっと、そういう苦しみから無縁になれました。もう誰も恨む人もいません。かつて『こんちくしょう』と思った人は、私の心のなかで、『やる気を起こしてくれた人』に変わりました。今残っているのは、感謝だけ。空っぽというのは、これから自分の好きなものを詰め込めるわけですから、とても心地よい状態です。好きな本を読めばいいし、好きなテレビを観ればいい。眠たくなれば、うたたねすればいい。締め切りに追われて、精一杯働いて60年。やっと原稿の締め切りのない人生にたどりつきました。命の締め切りは迫っていることでしょうが、それがいつかは知らないまま。生きているかぎりは、大好きな船旅に行ける健康を保ちたいと思っています」。疾風怒濤の企業人時代を卒業した私も、橋田と同じような境地にあります。
著者は、自分は二流の脚本家と割り切っています。本書を読み終わった時、人生は、生きやすい二流がちょうどいいという彼女の言い分に思わず頷いてしまいました。