本書を読んで、幸田露伴や幸田文の印象が大きく変わりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2625)】
ハルシャギク(ジャノメソウ、ジャノメギク。写真1、2)、アフリカハマユウ(インドハマユウ。写真3、4)が咲いています。ランチを共にした親友から可愛い多肉植物(写真6)をプレゼントされたと、女房が喜んでいます。
閑話休題、『幸田 文 生きかた指南』(幸田文著、青木奈緒編、平凡社)は、孫が編集した幸田文のエッセイ集です。
●捨てた男のよさ(1957年、53歳)
「私の亭主は太公望ではなくて、えらい出世はしなかったし、平凡な人だった。知人たちもそう云う。その平凡な男を平凡な女が捨て、女の父親(=幸田露伴)のこれも或種の捨てられた仏頂面をしたところから、現在わからないことだらけで困っている私に、男はいいなあという平凡な喜びが生じているのである、と云いたい。だからこれは決して、尽した論ではなくて、狭い、わたくしの話なのである」。
●機会(1961年、56歳)
「若いとき私は、チャンスというものはごく稀にしかめぐって来ないもの、と思い決めていたようです。けれどもいまは、常にかなり度々おとずれているものであり、しかしこちらは実にしばしばそれを素通りしてしまっているもの、というように思っています。こちらの眼は機会を素通りすることが多いが、機会というものはそれほど少ないものではない、と思うのですがどうでしょうか? すこし大げさにいえば、日常茶飯のうちにも機会はたくさんあるのではないでしょうか。私は若い日をふり返るたびに、毎日の生活のなかにあったさまざまの機会を、口惜しくもほとんどみな、むだに喪失してしまったことを、後悔しないではいられないのです」。
●女のしあわせ(1965年、60歳)
「はじめよきものおわりよし、とよく申しますが、だけどそれなら、はじめよくなかったものは、もう一生ダメみたいようで残念千万です。そうじゃなくって、私ははじめのでだしがわるくっても、中途からわるくなったのでも、一生けんめいにおしまいの方でよくして、最後でよくなれば、それでそこにやっぱり安心があり、幸福があるのじゃあないかと思うんです。終りよきもの、みんなよし、と私はいいたい。幸福というものは、与えられたあとは、自分で一生けんめいに育てていくのがいいと思います」。
幸田露伴や幸田文の作品はいろいろ手にしてきたが、今回、本書を読んで、露伴や文の印象が大きく変わりました。