京都の庭園の素晴らしい写真と、深みと味わいがある説明文の素敵な融合・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1197)】
オクラが黄色い花を咲かせています。白いナスを見かけました。紫色のナス、キュウリも栽培されています。さまざまなカボチャが農家直送の野菜販売所に並んでいます。通りがかりの家のイチジクを撮影していたところ、持っていきませんかと、熟したイチジクを持たせてくれました。図書館のグリーン・カーテンになっているゴーヤーの実をもらって帰りました。因みに、本日の歩数は10,377でした。
閑話休題、『しかけに感動する「京都名庭園」――京都の庭園デザイナーが案内』(烏賀陽百合著、誠文堂新光社)は、写真が素晴らしいだけでなく、説明文に深みと味わいがあります。
「庭の中のハイライトを『フォーカルポイント』と呼ぶ。これは、『庭での視界の中心になる部分で、視線が最も集まる見せ場』のこと。作者の意図がどこにあるのか、それを読み解く楽しさが日本庭園にはある。それは滝や川、石組や灯籠、またさりげなく置かれた石の場合もある」。
「桜や楓の彩りで『四季の美しさ』を、松などの常緑緑で『変わらない美』を、竹林で『山中の趣き』を表現する。日本人の自然への感性が、日本庭園の美しい景色を作っている。そして苔むした自然に、日本人は幾代も変わらぬ永遠の時間を感じる」。
「日本庭園を楽しむことは、小説を読むことと似ている。昔読んだ本を何年後かに読み返すと、以前気が付かなかったことや、分からなかったことが理解できて、自分が歳を重ねたことを知る。庭も同じで、同じ場所を何年後かに訪れると、以前は感じなかったものが見えてくる」。「日本庭園を楽しむことは、小説を読むことと似ている」というユニークな指摘には、脱帽です。
「心の感じ方によって、日本庭園の景色は変わる。日本庭園が奥深いと思うのはそんな時だ」。
京都の庭園は、いずれも素晴らしいが、詩仙堂には、とりわけ心惹かれます。「(石川)丈山はこの場所(詩仙堂)をこよなく愛した。彼が選定した『凹凸窠十二景』には、彼のお気に入りの詩仙堂の景色が綴られている。私はこの『凹凸窠十二景』がとても好きだ。これを読むと、丈山がここの自然を慈しんだ様子がよく伝わる。そして何気ない日常風景が、生き生きと浮かび上がる。何でもない日常の風景に美しさを見出す、石川丈山の感性が見えてくる。時に『都に立上る夕餉の煙』が好きで、この情景を選んだ丈山を敬愛する。彼が嘯月楼に登り、夕方の京都の景色を眺めながら、ぼんやりとする姿が想像できる。そして晩御飯を作る江戸時代の京都の人々の暮らしも一緒に想像できて、心があたたかくなる」。
圓光寺の鮮やかな紅葉には目を奪われます。「ここには『十牛の庭』と呼ばれる、近世初期に作られた庭がある。楓の林の中に、美しい苔、そしていつくかの庭石が据えられている。庭石の中でも一番大きい、中央で存在感を醸す石は『臥牛石』と呼ばれ、伏せた牛の姿を表している。・・・禅の話が庭のテーマとなっているが、具体的な場面を表すわけではなく、抽象化した庭園となっている。『悟り』というものがよく分からなくても、この庭を見ると不思議と落ち着いた気持ちになれる。庭園が持つ上品な雰囲気もとても良い」。
泉涌寺雲龍院は、障子窓から見える庭が印象的です。「一度訪れただけなのに、心に残る寺院がある。何年か後に来訪しても、やはり同じ心地良さを感じるところ。5年ぶりに訪れた雲龍院は、まさにそんな場所だった。・・・この雲龍院には、建物の中から庭を楽しめる場所が多い。『悟りの窓』と言われる丸窓のある部屋などさまざまな部屋があり、どこからでも庭が眺められる。・・・『蓮華の間』は、4枚並んだ障子に正方形の障子窓が美しい部屋。この障子窓から中庭がちらりと覗く。障子越しに景色を楽しむというのは、日本人独特の楽しみ方だろう。限られた景色から想像力で楽しむことができるのは、日本人の豊かな感性によるものだ」。
京都の庭の奥深さに触れ、ますます好きになりました。